(7)
「……美咲!」
健人の声は震えていた。淡い光に包まれた美咲の輪郭が、刻一刻と薄れていく。透き通るように霞んでいく頬、今にも消え入りそうな瞳。その姿は彼の心を容赦なく引き裂いた。
(考えろ……何かできることがあるはずだ。俺にしかできないことが……!)
脳裏に浮かんだのは、美咲の言葉だった。
――健人くんの視線を感じている間だけ、痛みが消えるの。
――あなたの視線は、熱さじゃなくて温かいの。
彼女をこちらに呼び戻せる唯一の手段。それはきっと、自分の視線だ。
根拠はなかった。ただ、美咲が自分にそう告げた事実だけが頼りだった。
「……やるしかない!」
健人は決意すると、一歩大きく踏み出した。
椅子に座る自分の机を押しのけ、美咲の目の前へ迫る。その姿は光に揺れ、触れようとしても透き通ってしまう。それでも――健人は構わなかった。
彼女の顔に自分の鼻先が触れるほど近づき、両手をそっと伸ばす。
まだ触れられない。だが幻を掴むようにして、美咲の頬を包み込む形を作った。
「美咲……! こっちに戻ってこい! 俺がちゃんと見てる! だから、俺の視線を感じて――!」
健人は必死に呼びかけながら、美咲の瞳を覗き込んだ。
その距離は、吐息すら触れ合いそうなほど近い。逃げ場のない視線。真っ直ぐな思いを込めた光が、彼女の奥底へと届くことを祈りながら。
美咲の目が見開かれる。驚きと戸惑いの中で、それでも彼の視線を受け止める。
次の瞬間、彼女の頬がかすかに紅潮し、震える声で言葉を漏らした。
「……健人くん……あ、あつい……身体が……火照って……!」
その言葉とともに、彼女の体を包んでいた淡い光が赤く染まり始めた。
ゆらめく炎のような赤。やがてそれは二人を中心に渦を巻き、炎の衣のように絡みついた。
「……これは……!」
健人も驚愕する。だが迷う暇はなかった。
彼女の姿が完全に透けきってしまう前に、光が力を取り戻していくのを感じたからだ。
「まだだ……! まだ戻れる!」
健人は両手で彼女の頬を強く包み込み、さらに視線を深く注ぎ込んだ。
その瞬間――手にかすかな温もりが蘇ってきた。最初は空気のゆらめきのように曖昧で、次に指先が熱を感じ、やがて確かな感触へと変わっていく。
「……触れてる……!」
頬の柔らかさ。震える肌の感触。彼女の存在が少しずつ、この世界に戻ってきている。
健人の胸に希望が灯った。
「美咲! 聞こえるか! あと少しだ、もう少しで戻れる! だから頑張れ!」
叫ぶと同時に、赤い炎が激しく弾けた。教室中を揺るがすほどの閃光となり、二人の影を壁に焼き付ける。
轟音はない。ただ爆ぜる光と熱だけが、世界を塗り替えていった。
健人は必死に声を張り上げ続けた。
「こっちに来い、美咲! 俺がちゃんといるから! 俺が見てるから!」
すると、美咲の瞳に力が宿った。薄れていた輪郭が徐々に濃くなり、透き通っていた体が実体を取り戻し始める。
「……健人くん……! 触れてる……! 戻れる……戻れるよ……!」
美咲の声に涙が混じった。
その瞬間、赤い炎は一気に膨れ上がり、まるで爆発するかのように閃光を放った。
健人の両手には、確かな感触があった。
美咲の頬。熱を帯びた柔らかさが、指の間に広がっている。
「……っ!」
感触のあまり、健人の胸が震えた。確かに彼女がいる。もう幻なんかじゃない。
だが次の瞬間。
赤い光は限界まで強まり、そして――真っ白な閃光に変わった。
「うっ……!」
視界が焼かれるように真っ白になる。教室も、机も、窓も、すべてが光に飲み込まれた。
目を閉じても意味はなかった。白はまぶしさを越えて、意識そのものを浸食してくる。
その中で、健人はさらに別の感触を得た。
背中に回された腕。
力強く、自分を引き寄せる温もり。美咲の腕が、自分を抱きしめている。
「……美咲……!」
声を上げようとしたが、白い光が喉を塞いだように声が出なかった。
ただ、彼女の腕の力が確かに存在している。しがみつくように、離すまいとする強さがそこにあった。
健人もまた、両手の力を強めた。
頬を包む手が、彼女の熱を確かに感じていたから。
二人は白の中でしっかりと繋がっていた。
だが、その意識は限界に達し、徐々に暗闇に沈んでいく。
「……離さない……」
最後に誰の声だったのかも分からない。
強い光と、強い抱擁。そのすべてを胸に刻んだまま――健人と美咲は、意識を失っていった。