(13)
売店の蛍光灯は落ちていたが、窓から差し込む柔らかな光が二人の間を照らしていた。
美咲は健人のすぐ目の前に立ち、そっと彼の瞳を覗き込んだ。
「……ねえ、健人くん」
小さな囁きが、胸の奥にじんと響く。
「こうやって、見つめ合ってるとね……身体がじんわり温かくなってくるの」
美咲の頬はほんのり赤く染まり、まるで夢に酔っているかのように潤んだ瞳で健人を見つめ返す。
「安心できるし……心地よくて……。このままずっと、こうしていたい」
その言葉と表情に、健人は息を飲んだ。
目の前の美咲は、これまでに見たことのないほど恍惚とした様子だった。
彼女の吐息すら、ほんのり熱を帯びて頬に触れるように感じられる。
(……なんだ、この感じは)
健人の胸に、説明のつかない違和感が生まれる。
確かに、以前から美咲は自分の視線が温かいと言っていた。
だが今の彼女は、温かさを通り越して何かに酔わされているように見える。
(まさか……俺の視線のせい、なのか?)
思い切って、健人はゆっくりと視線を逸らした。
ほんの少し、窓の方へと目を向ける。
すると、美咲の身体から力が抜けたように、ふらりと揺れた。
「……っ」
細い肩が小さく震え、彼女の口から短い吐息が漏れる。
慌てて視線を戻すと、美咲ははっと我に返ったように瞬きをした。
次の瞬間、顔を真っ赤にして視線を落とす。
「……ごめん。今の、忘れて。私……ちょっと変だったよね」
消え入りそうな声で呟き、両手で頬を押さえながら俯いてしまう。
耳の先まで赤くなり、恥ずかしさに耐えている様子が伝わってきた。
健人は、ただ唖然として彼女を見つめていた。
(……やっぱりだ。美咲の反応は、俺の視線の近さや強さで変わってる……)
今まで、美咲の「温かさ」の感覚を半信半疑で聞いていた。
だが今、目の前で彼女の身体が視線ひとつで変わる様子を目にしてしまった。
頬が赤く染まり、手の中で熱を帯びるように揺れる姿。
それは単なる思い込みではなく、何か確かな力が働いている証のように思えた。
健人は唇をかすかに噛みしめる。
(……もし俺の視線が美咲に影響を与えているなら……。その力を使って、この変な世界を元に戻せないだろうか?)
考えが胸の奥で膨らみ始める。
もちろん確信はない。ただの推測だ。
けれど、視線を通して美咲に「温かさ」を与えられるのなら、その延長線上に、二人を取り巻く異常な状況を変える糸口が隠されているかもしれない。
美咲は未だに俯いたまま、震える声で言った。
「……健人くんのこと、変な風に思わないで。私、本当に……視線を感じると安心するだけなの。だから、さっきのは……」
健人は、静かに首を振った。
「いや……美咲のせいじゃない」
その言葉に、美咲は驚いたように顔を上げる。
その瞳は潤んだまま、戸惑いと安堵が入り混じっていた。
健人は少しだけ迷いながらも、真剣に言葉を続けた。
「……多分、俺の視線が関係してるんだと思う。近づきすぎたり、強く見すぎたりすると、美咲に影響が出るんじゃないか」
美咲は目を瞬き、やがて小さく頷いた。
「……うん。そうかもしれない」
二人の間に再び静寂が落ちる。
だが今度は、以前のような不安を孕んだ沈黙ではなかった。
互いに同じ謎を共有し、同じ方向を見つめ始めた、そんな空気があった。
健人は心の中で固く決意する。
(この力……俺の視線が、鍵なんだ。美咲を守るだけじゃなく、この世界を変えるために。どうすればいいか、まだ分からないけど……必ず答えを見つける)
視線の強さひとつで、彼女の心と身体が変わる。
その不思議な現象の先に、二人が元いた世界への道があると信じて。
健人は、そっと美咲の方へ目を向けた。
美咲は照れくさそうに俯いていたが、その唇がわずかにほころび、彼の視線を受け止めるように顔を上げる。
二人の瞳が再び重なった瞬間、胸の奥で小さな火が灯るように、確かな温もりが広がっていった。