翌日。
柔らかな陽射しの下、駅前の広場には休日の賑わいが満ちていた。
待ち合わせ場所に立つ拓海は、遠くから歩いてくるあかりの姿を見て、思わず息を呑んだ。
いつもなら、どこか少女らしい軽やかさのあるワンピース姿で、自然体の笑顔を浮かべている彼女。
しかし今日のあかりは、同じスリムなワンピースでも、全く違う雰囲気をまとっていた。
まぶたには薄いブラウンのアイシャドウが差し込まれ、唇には淡いルージュの艶が灯る。
そのわずかな化粧の陰影が、彼女の輪郭を大人びた印象に変え、街の光景の中でひときわ際立たせていた。
「…お、おはよう、あかり」
声が少し上ずる。
「おはよう、拓海」
穏やかに笑うあかりの視線が、真っ直ぐに彼を捉える。
それは以前よりも少し落ち着きがあり、柔らかなのに、不思議と芯の強さを感じさせるものだった。
歩き出すと、自然にあかりが半歩前を行く。
行き先や店を決めるのも、足取りのリズムも、今日は彼女が主導していた。
その背中を追いながら、拓海は胸の奥にうっすらとした戸惑いを覚える。
――何か、変わった。
でも、それが何なのか言葉にできない。
やがて二人は、とある喫茶店の前に立った。
木製のドアと、小さなステンドグラスのランプが下がる入口。
初めて来たわけではない――少なくともあかりにとっては。
「ここ…入ってみない?」
あかりが振り返り、笑みを浮かべる。
その笑顔の奥に、彼には見えない何かを秘めているような気がした。
店内に足を踏み入れると、柔らかなランプの灯りとコーヒーの香りが包み込む。
窓際の席に座ると、外の光があかりの横顔を優しく縁取った。
その姿に、拓海はつい見とれてしまう。
「なんか…今日のあかり、ちょっと大人っぽいというか…雰囲気が違うね」
意を決して口にすると、あかりは一瞬だけ瞳を細めた。
「そう?」
くすっと笑い、カップの水を一口飲む。
そして、ゆっくりと視線を拓海へと向け、柔らかな声で続けた。
「以前の私も、男装したときの私も、どちらも同じ私。…そして、心の中の私も、また同じ“ワタシ”なの」
その言葉の最後に、ほんの少しだけ妖艶な微笑みを添えた。
その笑みに、拓海は不意を突かれたように視線を泳がせる。
「そ、そうなんだ…」と呟きながら、手元のアイスコーヒーに逃げるように口をつけた。
グラスの氷がカランと鳴る。
その音を聞きながら、あかりは頬杖をつき、拓海の仕草を静かに見守っていた。
どこか慈しむような眼差しで――けれど、それは決して単なる恋人の視線だけではなかった。
(…冴香。あなたも、ここにいるんでしょう?)
カップに映る琥珀色の液面に、ふとあの日の光景が浮かぶ。
鏡の中で差し伸べられた手。
触れた瞬間に伝わった温もり。
消えていく境界、近づく瞳、耳元で囁かれた声。
あの時から――冴香は確かに、私の中に生きている。
彼女の笑顔も、声も、触れた感触も、私の奥深くで脈打ち続けている。
拓海と過ごすこの時間も、あの日冴香と過ごした瞬間も、私の中で同じ重さを持っている。
それは矛盾じゃない。
むしろ、どちらも欠かせない私の一部。
(…だから、私の心の中に一緒にいる冴香と、その思い出も――同じ“ワタシ”なんだよ)
静かにそう呟くと、胸の奥にふっと温かな風が吹き抜けた。
それは、まるで遠くから冴香が微笑んでいるような気配だった。
窓の外では、午後の陽射しが街を柔らかく染めている。
テーブル越しに拓海が不器用に笑い、あかりも微笑み返す。
その微笑みの奥に、誰にも触れられないもうひとつの温もりを抱きながら――あかりは静かに、今という時間を味わっていた。