日曜日, 10月 19, 2025

第四話 君の瞳が揺れた瞬間

 「今日の予定、空けてあるよね?」


いつもより短いメッセージ。

でも、なんだかドキドキする。

だって今日は、“男装の私”として、初めて拓海と会う日だから。


男装に憧れを持ったきっかけは些細なことだった。

帰り道、ふと拓海が見た雑誌の表紙の男装モデルを「かっこいいな」って言ったこと。


その一言が胸に刺さって、ずっと離れなかった。


“私だって、かっこよくなれるかな?”


そう思って始めた男装だったけど、予想以上にしっくりきた。

鏡の前の自分が、自信を持って笑っている。

拓海に見せたら、どんな顔をするだろう。


想像するだけで、心が踊った。


***


待ち合わせ場所に立っていた拓海は、私を見るなり「完成度上がったな」って少し呆れたように笑った。

でも、視線は何度も私の服装に戻ってきていて――それが、嬉しかった。


私を“女の子”としてじゃなく、“一人のかっこいい人”として見てくれてるかもしれない。

そんな期待が、心の奥に小さく芽生えていた。


でも――もっと、意識させてみたかった。


***


買い物のあと、人通りの少ない裏通りのビルの陰に入ったとき、私は思い切って近づいた。


「ねえ拓海、ちょっと驚かせていい?」


そう言って、彼のすぐ横の壁に手をついた。


ドンッ。


「壁ドンって、こう?」


自分で言っておきながら、内心はバクバクだった。


でも、拓海の瞳が一瞬驚いて揺れ、そして言葉に詰まったその表情を見て――自分の心臓が跳ね上がった。



それは、幼なじみとしてじゃなく、

“男装の私”が、彼の心に触れた瞬間だった。


「ちょ、やめろって……!」


拓海は笑って体をかわしたけど、頬がほんのり赤いのを私は見逃さなかった。


“ねえ拓海、今ドキッとしたでしょ?”


そう問いかけたかったけど、あえて言わなかった。

その照れ隠しの仕草を、そっと胸の中にしまった。


***


そのあとの彼は、ちょっとだけ静かだった。


私の前を歩く彼の背中を見ながら、私は自分の胸に手を当てた。

鼓動が、まだ速い。


私は今、きっと、拓海に少しだけ近づけた。

女の子としてじゃなくて、

かっこいい“誰か”として。


でも――それだけじゃない。


私が壁ドンを仕掛けたのは、ただ驚かせたかったからじゃない。


本当は、もっと深い気持ちがあった。

彼に、もっと見てほしかった。

もっと、私にドキドキしてほしかった。


だって、ずっと昔から私は拓海が好きで、

でもその気持ちを、どんな形で伝えればいいか分からなかった。


でも今なら、男装という“新しい自分”でなら、少しだけ勇気が出せる。


あの壁ドンは、私のほんの小さな“告白”だったのかもしれない。


***


「次、行こーぜ!」


私の声に顔を上げた拓海は、少しだけ視線を逸らして笑った。

その笑い方が、いつもより照れて見えた。


きっと、気づき始めてる。


私たちの関係が、少しずつ変わり始めていることに。


幼なじみだった二人が、

少しずつ距離を変えていく――


そんな予感が、今日の空のように、やけに澄んでいた。

日曜日, 10月 12, 2025

第三話 ステージの上の“わたし”

 文化祭当日、教室はざわざわしていた。


私たちのクラスは演劇をやることになっていて、役決めのとき、誰かが軽く言った。


「王子役、あかりでよくない? 最近、男装ハマってるって聞いたし」


一瞬、空気が止まった。でもすぐに、何人かが「見てみたい!」「絶対似合う!」って乗ってきて、気づいたら拍手が起きていた。


私は戸惑っていた。

男装は“自分の部屋”でやるもので、こんな公の場で披露するなんて思ってもいなかった。


でも、拓海が言ってくれた。


「見せてやればいいんじゃね? あかりの“かっこよさ”ってやつをさ」


その一言で、背中を押された。


***


王子役の衣装は、白のシャツに黒のベスト、光沢のあるスラックス。

軽くセットした前髪と、ピアス風のイヤーカフ。

鏡の中の“私”は、驚くほど堂々としていた。


「……これは、やるしかないか」


ステージに立つ直前、足が震えた。

でも、袖の向こうにいる観客の気配が、どこか心地よかった。


幕が上がる。


「――姫君、どうかこの手を」


台詞が口をついて出た瞬間、場内に「キャーッ」と歓声が走った。

ふだんの私じゃ考えられないくらい、視線が集まっていた。


視線が怖いどころか、心地よかった。

ああ、これが「表現」なんだ。

自分の中の“かっこよさ”を、誰かに見てもらうって、こんなに胸が熱くなるんだ。


舞台袖の向こう、観客席の一番後ろ。

拓海の姿が見えた。


私が台詞を言うたびに、口元がゆるんでいる。

その目が、「ちゃんと見てるよ」って言っていた。


***


幕が下りたあと、女子たちが私の周りに集まった。


「マジで王子だった!」

「ていうか普通にタイプなんだけど!」

「SNS載せていい? 顔隠すから!」


褒め言葉が飛び交うたびに、嬉しいような、くすぐったいような気持ちになった。


そんな中、拓海がぽつりと近づいてきて、笑った。


「ちょっと有名人になってんじゃん」


「うん、びっくりした」


「……でも、あれ見てたらさ、なんか悔しくなった」

「え?」


「俺の知らない“あかり”が、どんどん増えてく感じ。ちょっとだけ、置いてかれそうでさ」


私の胸が、少し痛くなった。

でも次の瞬間、素直に言えた。


「じゃあ、ちゃんと見てて。どんな私でも、目、離さないでよ」


拓海は少しだけ目を見開いて、それから、優しくうなずいた。


「もちろん」


日曜日, 10月 05, 2025

第二話 B-side 君じゃないみたいで、でも君なんだ

 それから、あかりは変わった。

いや、正確には、少しずつ“変わっていった”。


最初は休日の私服だけだった。

ボーイッシュな服、ショート丈のジャケット、ローファー代わりのレースアップシューズ。

でも最近じゃ、放課後になると制服のリボンを外して、男子のネクタイを首に巻いていたりする。


「ちょっと借りてみたの」

そう言って、俺のネクタイを返してきた日もあった。


悪びれた様子は一切ない。

それどころか、鏡の前で軽くポーズなんかとって、満足そうにしてた。


——俺はと言えば、正直、戸惑ってた。


あかりのことは好きだ。でも、俺が好きだった“あかり”は、

長い髪をふわりと揺らして笑う、そういう女の子だった気がする。


だけど最近のあかりは、どこか芯が通った目をしてて、

服装のことも、「好きだから」と堂々と言うようになった。


その姿が、またカッコよくて。

だから俺は——もっと混乱する。


ある日、あかりの部屋に呼ばれた。

何か手伝ってほしいことがある、と言われて。


「ちょっと、見てほしくてさ」

そう言って、クローゼットの前に立ったあかりが現れたとき、俺は思わず言葉を失った。


そこにいたのは、完全に“男子”だった。


髪はタイトにまとめられ、シャツの上にベストを着て、スラックス。

だけど目の奥は、俺がずっと知ってる、あかりのままだった。


「どう……変じゃない?」


「……変じゃない。むしろ、すごいなって思う」

俺の声は、少し震えていた。


「私ね、やっとわかったの。男装って、ただ服を真似するだけじゃなくて……自分の中の“かっこよさ”を形にできるっていうか。なんか、気持ちがシャキッとするの」


その言葉に、俺は少し安心した。

あかりは、自分の「好き」をちゃんと見つけたんだって。


でも同時に、焦りもあった。

俺の好きな“あかり”は、どんどん新しい世界へ進んでいく。

その背中を、俺は追いかけられてるだろうか。


「……なぁ、あかり」

「ん?」

「どんな格好でもいいけどさ、お前は、お前なんだよな」


あかりは、ふっと笑ってうなずいた。

その笑顔が、昔と少しも変わっていなかった。


日曜日, 9月 28, 2025

第二話 新しい私に、ただいま

 最初はただの、ほんの出来心だった。


拓海と一緒に帰っていたある日、通りすがりの店で見かけたマネキンが、男物のシャツを着てて――

なぜか、心がざわついた。

「私も、こんなふうに着てみたいかも」

口に出したら、拓海はちょっと驚いた顔をしたけど、笑ってた。


それがきっかけだった。


その夜、クローゼットを開けてみた。

タンスの奥にしまってた、昔兄のおさがりでもらったTシャツやジャケットを引っぱり出して、鏡の前でポーズをとってみた。


「……意外と、似合ってる?」


気づいたら、そのままスマホで写真を撮っていた。

シャッター音がやけに大きく響いた。だけど、それよりも胸が高鳴っていた。


気持ちよかった。


女の子として「可愛い」と言われるのは悪くない。

でも、「カッコいい」って、自分が自分でいられる気がした。


そこからは早かった。

ネットで男装メイクの動画を探して、髪型を研究して、服を買いに行って……気づけば、週末はほとんど「男装あかり」として過ごしていた。


不思議なことに、学校の帰り道、拓海と並んで歩くとき――

リボンをはずして、ちょっと襟元を緩めるだけで、背筋がしゃんとするようになった。


「ちょっと借りてみたの」


ある日、拓海のネクタイを借りた。

本当は、もっと見てほしかった。

“カッコいい”って、言ってほしかった。


そして、あの日。

意を決して、拓海を部屋に呼んだ。


「見てほしくてさ」


スラックスに、シャツとベスト。鏡で何度も確認した。

男子でも女子でもない、でも“私”らしい姿。

胸を張って、クローゼットの前に立った。


拓海は、少し驚いて、それから――ちゃんと、見てくれた。


「どう……変じゃない?」


言葉が返ってくるまで、ほんの数秒だったのに、心臓がうるさくて仕方なかった。


「変じゃない。むしろ、すごいなって思う」


その言葉を聞いたとき、泣きそうになった。

受け入れてもらえた。私の“新しい形”を、否定しないでくれた。


「自分の中の“かっこよさ”を形にできるって、すごく気持ちがいいんだよ」

そう言うと、拓海は少しだけ目を伏せてから、私をまっすぐ見た。


「どんな格好でもいいけどさ、お前は、お前なんだよな」


——それが、どんなにうれしかったか。


私は男装が好き。でも、それだけじゃない。

私の“好き”を、認めてくれる人がいるってことが、何より嬉しかった。


「うん、ありがと」

私は、彼に向かって、少しだけ照れながら笑った。


そして思った。

この新しい自分に、ようやく「ただいま」って言える気がする。

日曜日, 9月 21, 2025

第一話 B-side 知らなかった君

 夕焼けの帰り道、俺は、あかりの横を歩いていた。

この通学路をふたりで歩くのは、もう何度目だろう。

けど、何度でも思う。隣にいると、心臓がうるさい。


「……なんで男子の制服って、あんなにかっこいいんだろうね」

唐突に、あかりがそんなことを言い出した。


「は? 急にどうした」

「いや、今日さ、廊下で他のクラスの男子がジャケット片手に歩いてたんだけど……なんかもう、映画の主人公みたいでさ」


そう言って笑うあかりを、俺は見ないふりで前を向いた。


「そんなに憧れるなら、お前が着てみたら?」


冗談混じりに返した。けど心のどこかで、「似合うかも」と思ってしまったのも本音だ。

それに——そんなの見たら、たぶん俺、また好きになっちまう。


***


数日後の土曜、あかりから「カフェ行かない?」とLINEがきた。

駅前で合流予定。いつもなら制服やスカート姿のあかりが、今日は違った。


フード付きの黒パーカーに、ゆるめのデニム。

ボーイッシュだけど、どこか整ってて、やけに目を引く。


「お前……誰だよ、それ」

口をついて出たのは驚きと、少しの戸惑い。


でもあかりは笑ってた。「ちょっと、着てみたくなって」って。

その笑顔が、まぶしかった。


「もしかして……本気でハマった?」

「……ちょっと、ね」


「似合ってるよ。お前が思うより、ずっと」


言ったあとで後悔しかけたけど、もう戻せなかった。

あかりは驚いたように瞬きをして、でも嬉しそうに目を細めた。


なんだよそれ、反則だろ。


俺が知ってたあかりは、スカートの裾を気にしながら歩くような女の子だった。

けど今目の前にいるのは、ちょっと違う“あかり”。


でもどっちの君も、俺は好きなんだ。

たぶん昔から、ずっと。


駅前のカフェまでの短い道のりが、今日は妙に長く感じた。

そしてその分、隣にいる“新しい君”を、ゆっくりと目に焼きつけた。


日曜日, 9月 14, 2025

第一話 スカートの外側

 夕焼けに染まる通学路。

制服のスカートを風に揺らしながら、あかりは隣を歩く拓海の横顔を見上げた。


「……なんで男子の制服って、あんなにかっこいいんだろうね」

「は? 急にどうした」

「いや、今日さ、廊下で他のクラスの男子がジャケット片手に歩いてたんだけど……なんかもう、映画の主人公みたいでさ」


拓海は呆れたような顔をして言った。「そんなに憧れるなら、お前が着てみたら?」


それは冗談だった。

だが、あかりの心には妙な引っかかりが残った。


***


その夜、あかりはクローゼットを開けた。

目についたのは兄のお下がりのブレザーとワイシャツ。

何気なく袖を通す。ボタンを留め、ネクタイを締めて鏡の前に立った瞬間——


「……え、なにこれ、めっちゃしっくりくるじゃん」


予想以上にしっくりきた自分の姿に、思わず笑いがこぼれる。

スカートではなくスラックス。胸元を隠すシャツのボタン。

どこか頼りなげだった自分が、少しだけ強くなれた気がした。


「あたし、男装……好きかも」


頬が熱くなる。けれどその気持ちは、恥ずかしさではなかった。


翌日、私服OKの休日をいいことに、男物のパーカーを羽織って出かけてみる。

街のショーウィンドウに映るのは、昨日までの自分とは少し違う「わたし」。


スマホが震えた。拓海からのメッセージ。


《駅前のカフェ、集合で》

《って、誰だよお前!?》


駅前に立っていたあかりを見て、拓海は目を丸くした。

「もしかして……本気でハマった?」

「……ちょっと、ね」


彼はしばらく無言だったが、ふいに笑った。

「似合ってるよ。お前が思うより、ずっと」


あかりの胸が、不思議と軽くなった気がした。

スカートの外側に、まだ知らない“わたし”がいる。


そしてそれを、見つけてくれた誰かがいる。

それだけで、世界が少しだけ広く見えた。