日曜日, 12月 28, 2025

第十二話 知らない横顔

 最近のあかりは、どこか変わった。


いや、厳密に言えば――変わったというより、“整った”というほうが近い。

以前は、男装している自分と普段の自分の間で揺れていたような、そんな不安定な表情をよく見せていた。


けれど、今のあかりには迷いがない。


たとえば、服装。

以前は男装の日と女の子らしい服の日が分かれていて、どこか「選んでる」感じがあったけれど、今は違う。

どんな格好でも、その中に“あかり”らしさがある。

ボーイッシュなスタイルの日でも、スカートを履いた日でも、自分を偽っていない自信が滲み出ている。


「最近、何かあったの?」


ある休日、ふたりで並んで歩いていたとき、ふと聞いてみた。

街路樹の影が舗道に落ちて、日差しがちらちらと揺れていた。


「え? なんで?」

あかりは笑って、僕を見上げる。


「うーん、なんか、前より自然というか……吹っ切れた感じがして」

僕はありのままの印象を言葉にした。


「……ふふ、そうかも」

あかりは目を細めて、少し空を見上げた。


「前はね、男装してる時の自分と、女の子らしい自分と、どっちが本当なのか分からなくて……ずっともやもやしてた」


「うん。……知ってる」

あの時の、フードコートでの会話を思い出す。


「でも今は、どっちも“自分”だって思えるようになったの」

あかりの声には、しっかりとした芯があった。


「服装や振る舞いはその時々の表現でしかなくて、根っこにある私は、ずっと私なんだって。……ようやく、そう思えるようになったんだ」


その言葉に、僕は心の中で安堵した。

あかりが悩んでいたことを、近くで見ていたからこそ、今の落ち着いた表情にほっとする。


でも、同時に――ほんの少し、言葉にできない違和感が残った。


変わったことは、いいことのはずだった。

でも、その“変化”がどこか遠くに感じられた。

僕の知らない誰かとの出会いが、彼女にそう思わせたのだとしたら……。


「何か、きっかけがあったの?」

僕は自然を装って聞いた。


「うーん……内緒」

あかりはくすりと笑って、指先を口元に当てる。


冗談っぽい仕草なのに、なぜか心に引っかかる。


その夜、ベッドに寝転びながら考えた。

僕は、あかりの隣にいて、一番近くで支えられる存在でいたいと思ってた。

でも、あかりが強くなって、自信を持って、自分で進んでいく姿を見ると――誇らしい反面、どうしようもなく寂しさも覚えた。


僕の知らない時間、知らない誰か。

その中で成長していくあかりに、置いていかれている気がする。


自分が恋をしている相手が、少しずつ遠くなっていく――そんな感覚。


翌日、学校の昼休みに、あかりが男子に囲まれて笑っているのを見た。

男装したその姿は、どこからどう見ても“かっこよく”て、他の女子たちが憧れの目で見つめている。

あかりはもう、「ただの幼なじみ」じゃなくなっていた。


僕だけが知っているあかりは、どこかに行ってしまったんだろうか。


夕方、一緒に帰ろうと声をかけたとき、あかりは変わらない笑顔で僕に手を振った。

その笑顔に、僕の胸は少し痛んだ。


変わったあかりがまぶしいほど輝いていて、でもその光の中に、僕の居場所があるのか分からなくなっていた。


あかりが自分自身を肯定できたことは、何よりも嬉しい。

でも、そんな彼女の「進化」が、僕には少しだけ――寂しかった。


本当は、誰があかりに変化を与えたのか、聞いてみたい。

その人にどんな想いを抱いているのか、知りたい。


でも、それを聞いたら、もう戻れない気がした。


だから僕は、今日もただ隣を歩くだけだ。

変わっていくあかりの影に、少しずつ追いつけなくなっていくことに気づきながら――。

日曜日, 12月 21, 2025

第十一話 偶然という名の必然

 その日、あかりは拓海と一緒に映画を観てから、ショッピングモールを歩いた。

楽しい時間だった。

けれど、心の奥にはずっと、ある影が張り付いていた。


――冴香さんのことだ。


あの日以来、彼女からは何の連絡もなかった。

そもそも名刺には連絡先すら書かれていなかったし、私自身も自分の番号やアドレスを教えたわけではない。

それでも、いつかまた会える気がして――名刺はまだ、机の引き出しにしまってある。


夕暮れ、拓海と駅で別れたあと、私は一人、家までの道を歩いていた。

人通りの少ない並木道。

街灯がぽつりぽつりと灯りはじめる。

気温は少し冷えてきて、腕をさすろうとした時――声がした。


「また会えたわね、あかりちゃん」


振り返ると、そこにいたのは冴香だった。


時間が止まったように感じた。


「……どうして……ここが……?」


驚きと戸惑いで声がうわずる。

でも、冴香さんは微笑むだけだった。


「あなたのこと、少し調べたの。ごめんなさいね。名刺に連絡先、書き忘れていたでしょう?」


冗談めかして言いながらも、その目は真剣だった。

私は否応なく鼓動が早まるのを感じた。


「少しだけ、話せるかしら?」


「……はい」


気づけば、私は自然に頷いていた。


そのまま、近くの静かなカフェに入った。

窓際の席に座り、ホットティーを注文する。

以前と同じジャスミンの香りが、湯気の向こうに漂う。


「あなたに、また会いたかった」

冴香さんがそう言った瞬間、心が跳ねた。


「……私も、会いたいって思ってました」

正直な気持ちだった。


「でも、私……混乱してて。自分が何に惹かれてるのか、よくわからなくて」


「それでいいのよ」

冴香さんの声は、あくまで穏やかだった。


「気持ちは、ひとつに決めなきゃいけないものじゃない。大事なのは、あなたがあなたでいられる場所を、ちゃんと選べること」


私はその言葉に目を伏せた。

冴香さんといると、自分の心が、どこまでも裸になる。


「ねえ、あかりちゃん。今日のあなたの服、すごく似合ってるわ」

ふと、冴香さんが言った。


「男装してる姿、とても自然よ。無理してる感じがしない」


私は顔が熱くなるのを感じた。

褒められたことへの照れなのか、それとも別の感情なのか、自分でも分からない。


「男装してる時の自分って……少し、強くなれる気がするんです」

ぽつりと呟いた。


「そうね。外見が変わると、心も自由になれる。私もそうだった」


冴香さんが語る過去の話――誰にも言えなかった自分、押し殺してきた思い。

そのすべてに私は引き込まれた。


そして、気づけば時刻は夜に差しかかっていた。


「そろそろ……帰らなきゃ」

私は言った。


冴香さんは、ふと立ち上がった。


「じゃあ、私が送るわ。家まで」


「えっ……でも……」


「心配なの。女の子を夜道に一人で帰らせるなんてできない」


そう言って冴香さんは、冗談っぽくウインクした。


……いや、私は今「女の子」に見えてる?


――なんて、頭の片隅で思ったけど、それを言葉にする余裕はなかった。


外に出ると、冷たい風が吹いていた。

その瞬間、冴香さんがさっと自分のコートを脱いで、私の肩にかけた。


「風邪ひくと困るから」


「……ありがとうございます」


肩にかかった布の重みと、そこに染み込んだ冴香さんの香水の匂いが、胸をきゅっと締めつける。


「……あかりちゃん」

家の前まで着いたとき、冴香さんが小さく呟いた。


「あなたに、ちゃんと伝えたい。私は、あなたに特別な気持ちを持ってる。

 たとえあなたが誰かを好きでも、あなたがどんな姿でも――私は、あなた自身に惹かれてる」


私は息を呑んだ。


胸が、痛いくらいに高鳴っていた。

拒絶の言葉は、出てこなかった。


それどころか、口の端が、自然に笑みに変わるのを感じた。


「……ありがとうございます」

私の声は、少し震えていた。


でも、それでも、ちゃんと目を見て答えた。


この時、私は確かに――冴香さんの言葉に、心を動かされていた。

日曜日, 12月 14, 2025

第十話 触れてしまった温度

 シティーホテルのラウンジで過ごした時間は、まるで夢の中のようだった。


冴香さんは、言葉の端々に柔らかさと余裕を纏っていて、それでいて私の心のひだにそっと触れてくるような、不思議な魅力があった。

私が迷っていることも、言葉にできない思いも、全部察してくれるような眼差し。


「このあと、少しだけ散歩しない?」

紅茶を飲み終えたあと、冴香さんがそう言った。


私は頷いた。心が自然に「もっと一緒にいたい」と言っていた。


ホテルを出て、夕暮れに染まりかけた街を歩く。

季節の風が髪をなでる。

冴香さんは私の歩幅に合わせて、隣を歩いてくれた。


「……私、最近までずっと、“普通”でいることが正しいんだって思ってました」

ふと、自分でも驚くほど自然に言葉が出ていた。


「女の子らしくして、誰かの期待に応えるのが、当たり前だって……でも、男装してみたら、すごく落ち着いて。でも同時に、怖くなったんです。これが本当の私だったら、今までの私は何だったんだろうって……」


冴香さんは立ち止まり、私を見つめた。


「その感覚、すごくよく分かるわ」

彼女の声は、静かなのに力強い。


「私も若い頃、自分の中にある“普通じゃない部分”を隠して生きてきた。けれどある日気づいたの。隠しても消えないものなら、それは“本物”だって」


“本物”という言葉が、胸に刺さる。

私の中にある、この揺れる感情も、誰かに認められたい気持ちも、全部……本物?


「あなたの中にあるそのままを、私は素敵だと思うわ」

冴香さんが言った。


その言葉が、心をほどくように響いた。


そして――彼女はそっと、私の頬に触れた。

指先が、優しく肌をなぞる。


「……触れてもいい?」


一瞬、答えられなかった。

でも私は、目を逸らさずに、小さく頷いた。


冴香さんの手が、私の頬から首筋へ、そして髪を優しく撫でた。

誰かにこんなふうに触れられるのは初めてで、でも不思議と嫌じゃなかった。


むしろ――心の奥にあった何かが、やっと見つけられたような感覚がした。


そのまま、静かに距離が縮まって、唇が触れそうになる。


だけど、その瞬間――私の中で、拓海の顔がよぎった。


いつも笑ってくれる拓海。

一緒に帰った放課後。

私が男装を始めたことを、何も言わずに受け止めてくれた彼。


私は――誰を見ているんだろう?


冴香さんの目を見つめながら、心の中で問いかけていた。


けれど、冴香さんはそんな私の迷いも察したように、ふっと微笑んで距離を戻した。


「ごめんなさい。急ぎすぎたかしら」


「……いえ。違うんです。ただ……私、自分でもよく分からなくて」


「わかるわ」

冴香さんは優しく頷いた。


「心は、すぐに答えを出せるものじゃない。でもね、焦らなくていい。あなたがあなたでいる時間を、私は大切にしたい」


その言葉に、私はほっとした。

目の前の人は、私を追い詰めるんじゃなくて、見守ってくれている。


「今日はありがとう。すごく、心が軽くなりました」


「それはよかった」

冴香さんは、少し淋しげに微笑んだ。


「また、会ってくれる?」


「……はい。私も、もっと知りたいです。自分のこと。そして、冴香さんのことも」


その言葉に、彼女の表情がやわらかくほどけた。


「じゃあ、また連絡するわね。気をつけて帰って」


別れ際、冴香さんは私の手をそっと包むように握ってくれた。

その温もりが、しばらく消えなかった。


歩き出した帰り道。

私はそっと胸に手を当てた。


――私は、誰に惹かれているの?


揺れる心のまま、夜の空を見上げた。

日曜日, 12月 07, 2025

第九話 もうひとりの私へ

 拓海と別れたのは、夕方近く。

駅の改札前で「じゃあな」と手を振る彼に、私も笑顔で応えたけれど、胸の奥はまだざわざわしていた。


男装してる自分。

女の子のままの自分。

どっちも嘘じゃないのに、どっちかを選ばなきゃいけないような気がしてしまう。

拓海は、どっちでも「お前はお前」だって言ってくれた。

でも、自分ではまだ答えが出ない。


少し歩いて、人気のない公園の前で足を止めた。

ベンチに腰を下ろし、バッグの中の名刺を取り出して指でなぞる。

あの妖艶な女性――冴香さん。

「君みたいな子、なかなかいない」

その言葉が、何度も頭をよぎる。


その時だった。


「やっぱり、会えた」


聞き慣れた、低く艶やかな声が耳に届いた。

驚いて顔を上げると、そこには黒いサングラスをかけた冴香さんが、ベージュのロングコート姿で立っていた。


「少し、いいかしら?」


言葉より先に、心臓が跳ねる。

まるで映画のワンシーンみたいに現れたその姿は、現実離れしていて――けれど、確かに目の前にいた。


「え……あの……」


「驚かせちゃったかしら? でも、君にもう一度会いたくて、来てしまったの」


サングラスを外した冴香さんの瞳は、まっすぐに私を見ていた。

視線の熱に、思わず目を逸らしそうになる。


「少し、お茶でもしない? 駅の近くに、いいラウンジがあるの。静かで話しやすいのよ」


一瞬、断ろうとした。

でも言葉は喉の奥で止まった。


このまま断ったら、私はずっと逃げてしまう気がした。

自分の中の何かから、目を逸らしたままになる気がして――。


私は小さく頷いた。


「……はい。少しだけなら」


冴香さんは、嬉しそうに口元を緩めた。


駅の近くのティーホテルのラウンジは、静かで落ち着いた空間だった。

高い天井と、柔らかな灯り。

テーブルの上には小さなランプが置かれていて、冴香さんの横顔をやさしく照らしていた。


「今日はお友達と?」


「……はい。幼なじみで」


「あら、いいわね。彼、少し嫉妬してたかしら?」


冴香さんは冗談めかして笑った。

でもその目は、探るように私の表情を見ていた。


「嫉妬って……そんな……」


「でも、あなたが男装してること、どう思ってるのかしら。ちゃんと、理解してくれてる?」


言葉に詰まった。

拓海の言葉は嬉しかった。けれど、まだ“理解”されているとは、言い切れない気もした。


「正直に言っていいかしら?」


冴香さんが少し身を乗り出した。


「私は、男装してるあなたの姿を見たとき、雷に打たれたみたいな衝撃を受けたの。美しさと、強さと、でもどこか壊れそうな儚さ……すべてが混ざっていた」


言葉が、胸の奥を揺らす。

拓海とは違う種類の眼差し。

けれど、その眼差しもまた、確かに私を見てくれている気がした。


「あなたのことを、もっと知りたいと思った。男装が好きとか、そんな表面的なことじゃなくて、あなた自身を」


「……私を?」


「ええ。あなたは今、きっと自分の中の“もう一人”の自分と出会ってしまったのよ。私は、その人の背中をそっと押したいだけ」


ラウンジの中で流れるピアノのBGMが、まるで時間を止めているようだった。

私は紅茶に口をつけながら、自分の心が静かに熱を帯びていくのを感じていた。


「……私、自分でもよくわからないんです。男装してる自分が好きなのか、誰かに認められるのが嬉しいのか……」


「わからないままで、いいの。答えはすぐに出す必要なんてないわ。でも、私なら……その迷いごと、抱きしめられる」


心臓が跳ねた。

まるで恋人に言われたみたいに、心が温かくもざわついていた。


そして私は――静かに息を吸って、頷いた。


「もう少しだけ……一緒にいてもいいですか?」


冴香さんは微笑んで、私の手の上にそっと自分の手を重ねた。

日曜日, 11月 30, 2025

第八話 揺れるままの君を

 休日のデパートは、夏休みのせいか家族連れや学生で賑わっていた。

フードコートの席を取って、あかりが戻ってくるのを待っていると、遠くから男装姿の彼女が歩いてくるのが見えた。


黒いキャップにゆるめのシャツ、足首の見える細身のパンツ。

外見だけなら、どう見ても中性的なイケメン。

視線を向ける女子高生のグループもちらほらいて、俺は心の中で何とも言えない感情を抱えながら、彼女がトレーを持って近づいてくるのを見守った。


「ごめん、遅くなった」


「全然。混んでた?」


「ちょっとね」


笑顔でそう言ったあかりだけど、その表情にはどこかぎこちなさがあった。

普段ならもっと無邪気に笑うのに、今日はどこか遠くを見ているような視線だった。


沈黙が少しずつテーブルを覆っていく。

食べている間も、彼女はときどき箸を止めて、考え込むように目を伏せていた。


「……なあ、あかり」


勇気を出して口を開いた。

ずっと喉の奥にひっかかっていた言葉を、ようやく吐き出す。


「先週の喫茶店で、なんかあった?」


一瞬、あかりの手が止まった。

そのまま箸をそっと置いて、トレーの上を見つめたまま沈黙する。


「いや、別に責めたいわけじゃない。ただ、あの日から、なんか……元気ないっていうか。なんか、変だよ、お前」


少し待って、ようやくあかりが小さく口を開いた。


「……あの時、拓海がトイレ行ってる間に、知らない人に声をかけられたの」


「知らない人?」


「うん。女の人。ちょっと大人っぽくて、妖艶な感じの……。その人が、男装してる私を見て、“かっこいいね”って言ってきたの」


冗談めかして言ってるわけじゃないことは、あかりの目を見ればわかった。

その目は、どこか揺れていた。


「その人、名刺もくれた。……なんか、スカウトっぽい感じだったけど……」


名刺? スカウト?

混乱しつつも、それよりもあかりの様子が気になった。


「それって、嬉しかった?」


「……うん。少しね。でも、それから、自分でもわからなくなってきて……」


「なにが?」


あかりは唇を噛み、少し俯いた。


「私さ、今の“男装してる自分”と、普段の“女の子の私”、どっちが本当の自分なんだろうって、わからなくなってきたの」


「……」


「冴香さん――その人が言ってくれた“君みたいな子、なかなかいない”って言葉が、なんか……すごく胸に残ってるの。女の子としてじゃなくて、“私”を認めてくれた気がして……」


あかりは俺を見た。

まっすぐに。


「拓海は……どう思う?」


俺は答えを探した。

でも、すぐには言葉が出てこなかった。

なぜなら、俺自身も――戸惑っていたから。


男装しているあかりを見て、「かっこいい」と思ったのは事実だ。

壁ドンされた時なんて、心臓が飛び出しそうになった。

でもそれは、“女の子らしい”あかりとはまた違うドキドキで――

どっちが本当のあかりなのかなんて、俺にもわからない。


ただ、一つだけ確かなことがあった。


「……どっちが“本当”かなんて、今決めなくてもいいと思う」


ゆっくり言葉を選びながら、俺は続けた。


「俺は……男装してても、してなくても、お前が“お前”だって思ってる。だから――悩んでるなら、一緒に悩むよ」


あかりの瞳が、少し揺れた。

それから、わずかに頬を緩めたように見えた。


「……ありがとう」


ほんの少しだけ、本来の彼女が戻ってきたような気がした。


フードコートの喧騒はそのままでも、俺たちのテーブルには、少しだけ温かな空気が流れ始めていた。

日曜日, 11月 23, 2025

第七話 揺れる輪郭

 帰宅して、制服から私服に着替えた後も、胸の内のざわつきは収まらなかった。


バッグの内ポケットに、硬く四角い感触がある。

あの喫茶店で、あの女性がそっと差し出してきた名刺。

『朱鷺原 冴香(ときはら さえか)』

細くて、艶のある文字。どこか香りすら漂いそうな品のある字体。


その名刺を、机の上にそっと置く。


「かっこいいわね。君みたいな子、なかなかいないわ。」


冴香のあの言葉が、耳の奥で何度も反響していた。

あの時、あたしはただ、戸惑ってうつむくしかなかった。

でも――あれは本心だったのだろうか。

冗談にしては、目が真剣すぎた。


あたしの“男装”を、初めて「女性」としてじゃなく「人」として評価された気がした。


――ドクン。


心臓が妙な拍動を打つ。

悪いことをしてるわけじゃないのに、罪悪感のような感情が胸をかすめる。


「……拓海……」


ぽつりと、幼なじみの名前をつぶやいた。

今ごろ、家でゲームでもしてるのだろうか。

あたしが、誰かに言い寄られたことなんて、きっと知らない。


でも、あの時――少しだけ、拓海の目が険しかったような気がした。

あたしの笑顔を見て、どこか探るような視線。


わかってる。

あたしは、拓海が好きだ。


彼の不器用な優しさも、時々見せる子供っぽさも、

本当は全部、ちゃんと胸の中にある。


なのに――どうして冴香さんの言葉が、こんなに胸に残ってるの?


男装の自分が「好かれた」という事実。

それは、これまでの“女子”としてのあかりとは別の自分が見られている感覚だった。


そのことが、どうしようもなく嬉しかった。


「本当のあたしって、どっちなんだろう……」


膝を抱えて、名刺をじっと見つめる。

鏡の中には、男装用のウィッグと服がかかったハンガー。

文化祭で着た、あの服。

ボーイッシュなジャケットに細めのネクタイ、シャツの襟元をラフに開けたあの姿。


あの時、拓海が顔を赤くしたこと、忘れていない。


「……ねえ、あたしは、どっちの自分が好き?」


小さな声で、誰にも聞こえない問いを呟く。


冴香のように、男装した“あかり”に惹かれる人もいる。

でも、拓海は“女の子”としてのあかりを見てくれている……そう信じたい。


だけど――拓海も、あの時の壁ドンには驚いていた。

笑ってたけど、頬は確かに赤かった。

じゃあ、あれは、どんな気持ちだったの?


感情が、まるで糸を絡ませた糸玉のように、ほどけない。

ただ一つ言えるのは――


「誰かに必要とされたいって、思ってたんだ……きっと」


だから、冴香の言葉が心に刺さった。

誰かに「君がいい」と言われたことが、あたしの輪郭を揺らしている。


だけどそれは、「恋」なのか、「憧れ」なのか、あるいは「認められたい」だけなのか――


名刺をそっと、引き出しの奥にしまう。

答えはまだ出ない。

でも、今のままじゃ、拓海に顔向けできない気がする。


少しずつ、自分の気持ちに向き合わなきゃ。

逃げてばかりじゃ、あたしの中の“本当”に辿り着けない。


そう思いながら、あたしはゆっくりベッドに身を沈めた。

胸の鼓動はまだ早いまま、夜の静けさに包まれていく。

月曜日, 11月 17, 2025

第六話 B-side 見えない何か

トイレから戻ると、あかりは妙に背筋を伸ばして座っていた。

カップに手を添えたまま、窓の外をぼんやり見つめている。

その仕草が、どこか“作った静けさ”のように見えた。


「戻ったよ〜。暑いな、今日は。」


声をかけても、あかりの反応はわずかに遅れていた。


「あ、うん。おかえり。」


笑ってはいる。でも、いつもの柔らかさが少しだけ足りない。

何かを隠しているような、そんな表情。


机の上にはカップとスマホだけ。

俺が立った時と、ほとんど変わっていない。

でも空気は、明らかに違っていた。


「……なんかあった?」


俺の問いかけに、あかりはピクリと肩を揺らした。

すぐに「なんでもないよ」と笑ったけど、その笑顔は作り物だ。

ずっと隣で見てきたから、わかる。


けど、それ以上は聞けなかった。


彼女が「話さない」ことを選んだ時は、無理に踏み込まない。

それが、俺たちの間の“暗黙の了解”だった。


けれど今日は、なんだかざわつく。

目の前にいるのに、少しだけ遠い。


ポケットに手を入れる仕草がやけに慎重で――

なにかを隠してるように見えたのは、気のせいか?


俺はコップの水を一口飲みながら、何気なく話題を変える。


「文化祭の後、よく男装の話される?」


「ん? あー、まぁ、ちょこちょこ。」


「やっぱ反響あったよな、あの姿。」


「そ、そうかもね。」


会話は続いているのに、心がどこか噛み合わない。


俺が気づいてないフリをしてるのか、

それともあかりが“本当に見せたくないもの”を抱えてるのか。


いつからだろう。

あかりの背中に、自分が知らない影を見つけるようになったのは。


男装がきっかけだったのか、

それとも俺があかりを一人の“女の子”として意識し始めたからか。


「……本当に、なんでもない?」


問い直すと、今度は少しだけ、あかりが目を伏せた。


「うん。大丈夫だよ。」


その言葉に、胸の奥で“かすかな痛み”が走る。


信じたい。でも――どこかで、見失いそうな気がして。


俺はただ、その笑顔を壊さないように、

水の入ったグラスを見つめるふりをした。

日曜日, 11月 09, 2025

第六話 秘密の名刺

 テーブルに残された名刺は、仄かに香水の匂いがした。

あかりはその小さな紙片から目を離せずにいた。


「……なんで、置いてくのよ……」


自分でも気づかないほどの声で、つぶやいた。


名刺には流れるような筆記体で女性の名前と、

「何かあったら、いつでもどうぞ」とだけ書かれていた。

番号も、住所もない。まるで秘密の合図のように。


そのとき、トイレから戻ってくる拓海の姿が見えた。


――ヤバい。


反射的に、あかりは名刺をそっとポケットに滑り込ませた。

まるで、何か悪いことをしたような気持ちで。


「戻ったよ~。あれ?なんか顔赤い?」


拓海の声に、心臓が跳ねた。


「えっ?あ、暑いだけ。ちょっと日差し強かったし!」


笑ってごまかしたが、自分でも嘘くさいのはわかっていた。

それでも拓海は、深く詮索することもなく、

「そっか」と言ってグラスに口をつけた。


その優しさが、逆に苦しかった。


拓海にだけは、何でも話せると思ってた。

小さい頃からずっと一緒で、秘密なんてなかった。

でも、今――初めて、隠している。


しかも、それはただの「ナンパされた」ってだけのことじゃない。

男装していた自分が、女性から「惹かれた」と言われたという事実。

それを、拓海にどう伝えればいいかわからなかった。


彼は、あかりの男装をいつも肯定してくれる。

「似合ってる」「かっこいい」って、照れずに言ってくれる。

でも――その拓海に、自分が他人に“異性”として見られているということを言えば、どう思うだろう?


「なあ、あかり。さっき、なんかあった?」


突然の問いに、指がびくっと反応した。


「……なんで?」


「いや、なんとなく。表情固かったから。」


そうやって、何でも見抜こうとする。

そこが、昔から変わらない。


「ほんと、なんでもないってば。」


視線を合わせずに返すと、拓海は少しだけ寂しそうな目をした。

あかりは、その目を見て胸が痛くなる。


彼を傷つけたくない。

でも、この気持ちは――今はまだ、しまっておきたかった。


ポケットの中で、名刺の感触がじんわりと指先に残る。


“これは、私だけの秘密。”


そう思ってしまった自分が、少しだけ怖かった。

日曜日, 11月 02, 2025

第五話 予期せぬ誘惑

 「やっぱり、あかりの男装、街中でも目立つな。」


拓海がそう言って笑ったのは、街角の喫茶店の看板が見えてきた時だった。

天気のいい休日、駅前の通りは若者やカップルでにぎわっていて、確かに視線を感じることは多かった。


でも、あかりはどこか誇らしげだった。

ただの変装じゃない。男装はもう、彼女の一部になりつつある。


「どうせなら、堂々と歩いた方が気持ちいいでしょ?」


「うん、似合ってる。てか、普通にかっこいいし。」


さらっと言う拓海の言葉が、少しだけ胸に刺さる。

この人の何気ない一言って、ずるいくらいに効くんだよな――と、あかりは心の中で微笑んだ。


喫茶店は古風なレンガ造りで、通りの喧騒とは対照的に落ち着いた空気が流れていた。

二人は奥の窓際の席に座り、メニューを広げる。


「俺、トイレ行ってくる。アイスコーヒーでいいや。頼んどいてくれる?」


「あいよ、兄貴。」


冗談まじりに返すと、拓海は笑いながら席を立っていった。

その後ろ姿を見送りながら、あかりはふっと窓の外に視線を向ける。


街のざわめきが、ほんの少し遠くに感じられるこの静かな空間。

男装でこうして拓海と出かけるのも、もう慣れてきた。


「……ふふ、いい男ねぇ。」


突然、耳元で低くて艶やかな声がした。

驚いて顔を上げると、目の前には一人の女性が立っていた。


見た目は二十代後半から三十代前半だろうか。

波打つ黒髪、ワインレッドのロングスカートに艶のあるブラウス。

仕草の一つひとつに、年上の余裕と色気がにじみ出ている。


「ごめんなさいね、急に。あまりに素敵だったから、つい声をかけたくなっちゃって。」


女性はあかりの隣の席に腰を下ろすと、頬杖をついてじっと見つめてくる。

その目は、どこか試すように、愉しむように細められていた。


「え、あ、あの……」


一瞬、声が詰まった。

普段のあかりなら、こういうタイプの相手にも冗談で返せるくらいの余裕があるはずなのに。

どこか相手の雰囲気に飲まれていた。


「ねえ、お名前は? 彼氏さんを待ってるのかしら?」


「……友達と一緒に来てるんです。すぐ戻ってきます。」


男っぽく低めの声で返したつもりだったけど、内心はかなり焦っていた。

ただの軽いナンパとは明らかに違う。

この女性の視線は鋭くて、どこか人の“正体”を見透かすような強さがある。


「ふふ、焦らないで。男装でしょう?」


耳元でそっと囁かれたその一言に、あかりは体がビクッと反応した。


「うまいもの。よく研究してるし、立ち振る舞いも堂に入ってる。あなた、自分の魅力をちゃんと分かってるわね。」


「……え、なんでわかったんですか。」


「女の勘よ。あと――目が女の子のままだもの。」


そう言って、女性はゆるく微笑んだ。

挑発ではなく、賞賛とも取れるその笑みが、かえって不気味だった。


「あなたのようなタイプ、好きよ。可愛いのにかっこいい、そんな危うさに惹かれる人って多いのよ。」


「あ、あの、本当に……友達が戻ってくるんで――」


「じゃあ、またね。」


女性はすっと立ち上がると、テーブルに自分の名刺を一枚だけ置いて、振り返ることなく歩き去っていった。


あかりはその名刺を見つめたまま、何も言えなかった。


“君って、やっぱり人の目を引くんだな。”


拓海の言葉が、今になって思い出される。


でも――


こんな形で“目立つ”のは、全然慣れてない。


自分が男装していることで、こんなにも他人の興味を引くのかと実感し、同時にどこかスリルを感じていた。


ふと、トイレから戻ってくる拓海の姿が見えた。

日曜日, 10月 26, 2025

第四話 B-side その手に触れた鼓動

 「ねえ拓海、今日の予定、空けてあるよね?」


待ち合わせの朝、LINEに届いたその一文だけで、胸が少しざわついた。

“女の子のあかり”のはずなのに、最近はどこか“男っぽく”て、妙に主導権を握ってくる。


男装を始めてからのあかりは、堂々として、でもどこか楽しそうで。

最初は驚いたけど、今ではその姿が自然に見えてきていた。


それでも——

今日はなんだか、予感があった。


***


待ち合わせ場所に現れたあかりは、黒のジャケットにワイドパンツ、白のTシャツをラフに合わせていた。

髪はいつもよりきっちりまとめられていて、まるで雑誌から出てきたモデルみたいだった。


「……なんか、お前、完成度上がってない?」


「ふふん、研究してるからね。どう、驚いた?」


「まぁ、ちょっとは」


軽口で返しつつも、実際には、内心ざわざわしていた。

あかりを“可愛い”と思っていた俺が、今は“かっこいい”にもドキッとしている。


俺、どうかしてるかもしれない。


「じゃ、行こっか。今日は私がリードするって決めてるから」


そう言って、先に歩き出すあかり。

その背中を、つい目で追ってしまう。


***


買い物をしたあと、駅前のビルの陰で休憩していたときのことだった。

ふと、あかりがこちらに一歩近づいて、にやっと笑った。


「ねえ拓海、ちょっと驚かせていい?」


「は? なんだよ急に……」


その瞬間だった。


ドンッ。


あかりが俺のすぐ横の壁に手をついた。

俺は壁に背を向けていたから、あかりの顔が、すぐ目の前にある。


距離、20センチ。

息、止まった。


「壁ドンって、こんな感じで合ってる?」


いたずらっぽく笑うその顔が、やけに男前で。

いや、待て待て。

俺、いま壁ドンされてるのか?

しかも、あかりに?


「ちょ、やめろって……!」

そう言って笑いながら体をずらしてその場を外したけど、心臓はバクバクだった。


笑ってごまかしたけど……正直、やばかった。


あれ、なんだ。

妙に、鼓動が早くなる。

しかも、嫌じゃなかった。

むしろ、もう一回されてもいいって思った自分がいた。


なんでだよ。


「……もしかして、顔赤い?」


あかりが覗き込んできたけど、俺はすぐに目をそらした。


「なってねぇし」


「ふーん? まぁ、いいけど」


あかりは肩をすくめて、また歩き出した。


俺はその背中を見ながら、心のなかで頭を抱えていた。

どういう感情なんだ、これは。


あかりは“女の子”のはずだ。

俺が昔から好きだった、あの無邪気で天然で、ちょっと抜けてる“幼なじみ”。


なのに今、あの手にドンと壁を押さえられただけで、こんなに心が揺れるなんて。

ドキドキするなんて。


あいつ、変わった。

でも――たぶん、俺も変わり始めてる。


男装のあかりに引っ張られるように、俺の気持ちも、どこか知らない方へと動き出している気がする。


「なあ、拓海!」


前を歩いていたあかりが振り返って、笑った。


「次、行こーぜ!」


その笑顔は昔と変わらないはずなのに、

なんでだろうな。

今日のあかりは、やけに眩しくて、まっすぐ目が見れなかった。


――すぐ横の壁につかれた時のあの手の感覚と、目の前のあかりから感じた甘い息が、まだ、胸の中に残っていた。


日曜日, 10月 19, 2025

第四話 君の瞳が揺れた瞬間

 「今日の予定、空けてあるよね?」


いつもより短いメッセージ。

でも、なんだかドキドキする。

だって今日は、“男装の私”として、初めて拓海と会う日だから。


男装に憧れを持ったきっかけは些細なことだった。

帰り道、ふと拓海が見た雑誌の表紙の男装モデルを「かっこいいな」って言ったこと。


その一言が胸に刺さって、ずっと離れなかった。


“私だって、かっこよくなれるかな?”


そう思って始めた男装だったけど、予想以上にしっくりきた。

鏡の前の自分が、自信を持って笑っている。

拓海に見せたら、どんな顔をするだろう。


想像するだけで、心が踊った。


***


待ち合わせ場所に立っていた拓海は、私を見るなり「完成度上がったな」って少し呆れたように笑った。

でも、視線は何度も私の服装に戻ってきていて――それが、嬉しかった。


私を“女の子”としてじゃなく、“一人のかっこいい人”として見てくれてるかもしれない。

そんな期待が、心の奥に小さく芽生えていた。


でも――もっと、意識させてみたかった。


***


買い物のあと、人通りの少ない裏通りのビルの陰に入ったとき、私は思い切って近づいた。


「ねえ拓海、ちょっと驚かせていい?」


そう言って、彼のすぐ横の壁に手をついた。


ドンッ。


「壁ドンって、こう?」


自分で言っておきながら、内心はバクバクだった。


でも、拓海の瞳が一瞬驚いて揺れ、そして言葉に詰まったその表情を見て――自分の心臓が跳ね上がった。



それは、幼なじみとしてじゃなく、

“男装の私”が、彼の心に触れた瞬間だった。


「ちょ、やめろって……!」


拓海は笑って体をかわしたけど、頬がほんのり赤いのを私は見逃さなかった。


“ねえ拓海、今ドキッとしたでしょ?”


そう問いかけたかったけど、あえて言わなかった。

その照れ隠しの仕草を、そっと胸の中にしまった。


***


そのあとの彼は、ちょっとだけ静かだった。


私の前を歩く彼の背中を見ながら、私は自分の胸に手を当てた。

鼓動が、まだ速い。


私は今、きっと、拓海に少しだけ近づけた。

女の子としてじゃなくて、

かっこいい“誰か”として。


でも――それだけじゃない。


私が壁ドンを仕掛けたのは、ただ驚かせたかったからじゃない。


本当は、もっと深い気持ちがあった。

彼に、もっと見てほしかった。

もっと、私にドキドキしてほしかった。


だって、ずっと昔から私は拓海が好きで、

でもその気持ちを、どんな形で伝えればいいか分からなかった。


でも今なら、男装という“新しい自分”でなら、少しだけ勇気が出せる。


あの壁ドンは、私のほんの小さな“告白”だったのかもしれない。


***


「次、行こーぜ!」


私の声に顔を上げた拓海は、少しだけ視線を逸らして笑った。

その笑い方が、いつもより照れて見えた。


きっと、気づき始めてる。


私たちの関係が、少しずつ変わり始めていることに。


幼なじみだった二人が、

少しずつ距離を変えていく――


そんな予感が、今日の空のように、やけに澄んでいた。

日曜日, 10月 12, 2025

第三話 ステージの上の“わたし”

 文化祭当日、教室はざわざわしていた。


私たちのクラスは演劇をやることになっていて、役決めのとき、誰かが軽く言った。


「王子役、あかりでよくない? 最近、男装ハマってるって聞いたし」


一瞬、空気が止まった。でもすぐに、何人かが「見てみたい!」「絶対似合う!」って乗ってきて、気づいたら拍手が起きていた。


私は戸惑っていた。

男装は“自分の部屋”でやるもので、こんな公の場で披露するなんて思ってもいなかった。


でも、拓海が言ってくれた。


「見せてやればいいんじゃね? あかりの“かっこよさ”ってやつをさ」


その一言で、背中を押された。


***


王子役の衣装は、白のシャツに黒のベスト、光沢のあるスラックス。

軽くセットした前髪と、ピアス風のイヤーカフ。

鏡の中の“私”は、驚くほど堂々としていた。


「……これは、やるしかないか」


ステージに立つ直前、足が震えた。

でも、袖の向こうにいる観客の気配が、どこか心地よかった。


幕が上がる。


「――姫君、どうかこの手を」


台詞が口をついて出た瞬間、場内に「キャーッ」と歓声が走った。

ふだんの私じゃ考えられないくらい、視線が集まっていた。


視線が怖いどころか、心地よかった。

ああ、これが「表現」なんだ。

自分の中の“かっこよさ”を、誰かに見てもらうって、こんなに胸が熱くなるんだ。


舞台袖の向こう、観客席の一番後ろ。

拓海の姿が見えた。


私が台詞を言うたびに、口元がゆるんでいる。

その目が、「ちゃんと見てるよ」って言っていた。


***


幕が下りたあと、女子たちが私の周りに集まった。


「マジで王子だった!」

「ていうか普通にタイプなんだけど!」

「SNS載せていい? 顔隠すから!」


褒め言葉が飛び交うたびに、嬉しいような、くすぐったいような気持ちになった。


そんな中、拓海がぽつりと近づいてきて、笑った。


「ちょっと有名人になってんじゃん」


「うん、びっくりした」


「……でも、あれ見てたらさ、なんか悔しくなった」

「え?」


「俺の知らない“あかり”が、どんどん増えてく感じ。ちょっとだけ、置いてかれそうでさ」


私の胸が、少し痛くなった。

でも次の瞬間、素直に言えた。


「じゃあ、ちゃんと見てて。どんな私でも、目、離さないでよ」


拓海は少しだけ目を見開いて、それから、優しくうなずいた。


「もちろん」


日曜日, 10月 05, 2025

第二話 B-side 君じゃないみたいで、でも君なんだ

 それから、あかりは変わった。

いや、正確には、少しずつ“変わっていった”。


最初は休日の私服だけだった。

ボーイッシュな服、ショート丈のジャケット、ローファー代わりのレースアップシューズ。

でも最近じゃ、放課後になると制服のリボンを外して、男子のネクタイを首に巻いていたりする。


「ちょっと借りてみたの」

そう言って、俺のネクタイを返してきた日もあった。


悪びれた様子は一切ない。

それどころか、鏡の前で軽くポーズなんかとって、満足そうにしてた。


——俺はと言えば、正直、戸惑ってた。


あかりのことは好きだ。でも、俺が好きだった“あかり”は、

長い髪をふわりと揺らして笑う、そういう女の子だった気がする。


だけど最近のあかりは、どこか芯が通った目をしてて、

服装のことも、「好きだから」と堂々と言うようになった。


その姿が、またカッコよくて。

だから俺は——もっと混乱する。


ある日、あかりの部屋に呼ばれた。

何か手伝ってほしいことがある、と言われて。


「ちょっと、見てほしくてさ」

そう言って、クローゼットの前に立ったあかりが現れたとき、俺は思わず言葉を失った。


そこにいたのは、完全に“男子”だった。


髪はタイトにまとめられ、シャツの上にベストを着て、スラックス。

だけど目の奥は、俺がずっと知ってる、あかりのままだった。


「どう……変じゃない?」


「……変じゃない。むしろ、すごいなって思う」

俺の声は、少し震えていた。


「私ね、やっとわかったの。男装って、ただ服を真似するだけじゃなくて……自分の中の“かっこよさ”を形にできるっていうか。なんか、気持ちがシャキッとするの」


その言葉に、俺は少し安心した。

あかりは、自分の「好き」をちゃんと見つけたんだって。


でも同時に、焦りもあった。

俺の好きな“あかり”は、どんどん新しい世界へ進んでいく。

その背中を、俺は追いかけられてるだろうか。


「……なぁ、あかり」

「ん?」

「どんな格好でもいいけどさ、お前は、お前なんだよな」


あかりは、ふっと笑ってうなずいた。

その笑顔が、昔と少しも変わっていなかった。


日曜日, 9月 28, 2025

第二話 新しい私に、ただいま

 最初はただの、ほんの出来心だった。


拓海と一緒に帰っていたある日、通りすがりの店で見かけたマネキンが、男物のシャツを着てて――

なぜか、心がざわついた。

「私も、こんなふうに着てみたいかも」

口に出したら、拓海はちょっと驚いた顔をしたけど、笑ってた。


それがきっかけだった。


その夜、クローゼットを開けてみた。

タンスの奥にしまってた、昔兄のおさがりでもらったTシャツやジャケットを引っぱり出して、鏡の前でポーズをとってみた。


「……意外と、似合ってる?」


気づいたら、そのままスマホで写真を撮っていた。

シャッター音がやけに大きく響いた。だけど、それよりも胸が高鳴っていた。


気持ちよかった。


女の子として「可愛い」と言われるのは悪くない。

でも、「カッコいい」って、自分が自分でいられる気がした。


そこからは早かった。

ネットで男装メイクの動画を探して、髪型を研究して、服を買いに行って……気づけば、週末はほとんど「男装あかり」として過ごしていた。


不思議なことに、学校の帰り道、拓海と並んで歩くとき――

リボンをはずして、ちょっと襟元を緩めるだけで、背筋がしゃんとするようになった。


「ちょっと借りてみたの」


ある日、拓海のネクタイを借りた。

本当は、もっと見てほしかった。

“カッコいい”って、言ってほしかった。


そして、あの日。

意を決して、拓海を部屋に呼んだ。


「見てほしくてさ」


スラックスに、シャツとベスト。鏡で何度も確認した。

男子でも女子でもない、でも“私”らしい姿。

胸を張って、クローゼットの前に立った。


拓海は、少し驚いて、それから――ちゃんと、見てくれた。


「どう……変じゃない?」


言葉が返ってくるまで、ほんの数秒だったのに、心臓がうるさくて仕方なかった。


「変じゃない。むしろ、すごいなって思う」


その言葉を聞いたとき、泣きそうになった。

受け入れてもらえた。私の“新しい形”を、否定しないでくれた。


「自分の中の“かっこよさ”を形にできるって、すごく気持ちがいいんだよ」

そう言うと、拓海は少しだけ目を伏せてから、私をまっすぐ見た。


「どんな格好でもいいけどさ、お前は、お前なんだよな」


——それが、どんなにうれしかったか。


私は男装が好き。でも、それだけじゃない。

私の“好き”を、認めてくれる人がいるってことが、何より嬉しかった。


「うん、ありがと」

私は、彼に向かって、少しだけ照れながら笑った。


そして思った。

この新しい自分に、ようやく「ただいま」って言える気がする。

日曜日, 9月 21, 2025

第一話 B-side 知らなかった君

 夕焼けの帰り道、俺は、あかりの横を歩いていた。

この通学路をふたりで歩くのは、もう何度目だろう。

けど、何度でも思う。隣にいると、心臓がうるさい。


「……なんで男子の制服って、あんなにかっこいいんだろうね」

唐突に、あかりがそんなことを言い出した。


「は? 急にどうした」

「いや、今日さ、廊下で他のクラスの男子がジャケット片手に歩いてたんだけど……なんかもう、映画の主人公みたいでさ」


そう言って笑うあかりを、俺は見ないふりで前を向いた。


「そんなに憧れるなら、お前が着てみたら?」


冗談混じりに返した。けど心のどこかで、「似合うかも」と思ってしまったのも本音だ。

それに——そんなの見たら、たぶん俺、また好きになっちまう。


***


数日後の土曜、あかりから「カフェ行かない?」とLINEがきた。

駅前で合流予定。いつもなら制服やスカート姿のあかりが、今日は違った。


フード付きの黒パーカーに、ゆるめのデニム。

ボーイッシュだけど、どこか整ってて、やけに目を引く。


「お前……誰だよ、それ」

口をついて出たのは驚きと、少しの戸惑い。


でもあかりは笑ってた。「ちょっと、着てみたくなって」って。

その笑顔が、まぶしかった。


「もしかして……本気でハマった?」

「……ちょっと、ね」


「似合ってるよ。お前が思うより、ずっと」


言ったあとで後悔しかけたけど、もう戻せなかった。

あかりは驚いたように瞬きをして、でも嬉しそうに目を細めた。


なんだよそれ、反則だろ。


俺が知ってたあかりは、スカートの裾を気にしながら歩くような女の子だった。

けど今目の前にいるのは、ちょっと違う“あかり”。


でもどっちの君も、俺は好きなんだ。

たぶん昔から、ずっと。


駅前のカフェまでの短い道のりが、今日は妙に長く感じた。

そしてその分、隣にいる“新しい君”を、ゆっくりと目に焼きつけた。


日曜日, 9月 14, 2025

第一話 スカートの外側

 夕焼けに染まる通学路。

制服のスカートを風に揺らしながら、あかりは隣を歩く拓海の横顔を見上げた。


「……なんで男子の制服って、あんなにかっこいいんだろうね」

「は? 急にどうした」

「いや、今日さ、廊下で他のクラスの男子がジャケット片手に歩いてたんだけど……なんかもう、映画の主人公みたいでさ」


拓海は呆れたような顔をして言った。「そんなに憧れるなら、お前が着てみたら?」


それは冗談だった。

だが、あかりの心には妙な引っかかりが残った。


***


その夜、あかりはクローゼットを開けた。

目についたのは兄のお下がりのブレザーとワイシャツ。

何気なく袖を通す。ボタンを留め、ネクタイを締めて鏡の前に立った瞬間——


「……え、なにこれ、めっちゃしっくりくるじゃん」


予想以上にしっくりきた自分の姿に、思わず笑いがこぼれる。

スカートではなくスラックス。胸元を隠すシャツのボタン。

どこか頼りなげだった自分が、少しだけ強くなれた気がした。


「あたし、男装……好きかも」


頬が熱くなる。けれどその気持ちは、恥ずかしさではなかった。


翌日、私服OKの休日をいいことに、男物のパーカーを羽織って出かけてみる。

街のショーウィンドウに映るのは、昨日までの自分とは少し違う「わたし」。


スマホが震えた。拓海からのメッセージ。


《駅前のカフェ、集合で》

《って、誰だよお前!?》


駅前に立っていたあかりを見て、拓海は目を丸くした。

「もしかして……本気でハマった?」

「……ちょっと、ね」


彼はしばらく無言だったが、ふいに笑った。

「似合ってるよ。お前が思うより、ずっと」


あかりの胸が、不思議と軽くなった気がした。

スカートの外側に、まだ知らない“わたし”がいる。


そしてそれを、見つけてくれた誰かがいる。

それだけで、世界が少しだけ広く見えた。