日曜日, 11月 30, 2025

第八話 揺れるままの君を

 休日のデパートは、夏休みのせいか家族連れや学生で賑わっていた。

フードコートの席を取って、あかりが戻ってくるのを待っていると、遠くから男装姿の彼女が歩いてくるのが見えた。


黒いキャップにゆるめのシャツ、足首の見える細身のパンツ。

外見だけなら、どう見ても中性的なイケメン。

視線を向ける女子高生のグループもちらほらいて、俺は心の中で何とも言えない感情を抱えながら、彼女がトレーを持って近づいてくるのを見守った。


「ごめん、遅くなった」


「全然。混んでた?」


「ちょっとね」


笑顔でそう言ったあかりだけど、その表情にはどこかぎこちなさがあった。

普段ならもっと無邪気に笑うのに、今日はどこか遠くを見ているような視線だった。


沈黙が少しずつテーブルを覆っていく。

食べている間も、彼女はときどき箸を止めて、考え込むように目を伏せていた。


「……なあ、あかり」


勇気を出して口を開いた。

ずっと喉の奥にひっかかっていた言葉を、ようやく吐き出す。


「先週の喫茶店で、なんかあった?」


一瞬、あかりの手が止まった。

そのまま箸をそっと置いて、トレーの上を見つめたまま沈黙する。


「いや、別に責めたいわけじゃない。ただ、あの日から、なんか……元気ないっていうか。なんか、変だよ、お前」


少し待って、ようやくあかりが小さく口を開いた。


「……あの時、拓海がトイレ行ってる間に、知らない人に声をかけられたの」


「知らない人?」


「うん。女の人。ちょっと大人っぽくて、妖艶な感じの……。その人が、男装してる私を見て、“かっこいいね”って言ってきたの」


冗談めかして言ってるわけじゃないことは、あかりの目を見ればわかった。

その目は、どこか揺れていた。


「その人、名刺もくれた。……なんか、スカウトっぽい感じだったけど……」


名刺? スカウト?

混乱しつつも、それよりもあかりの様子が気になった。


「それって、嬉しかった?」


「……うん。少しね。でも、それから、自分でもわからなくなってきて……」


「なにが?」


あかりは唇を噛み、少し俯いた。


「私さ、今の“男装してる自分”と、普段の“女の子の私”、どっちが本当の自分なんだろうって、わからなくなってきたの」


「……」


「冴香さん――その人が言ってくれた“君みたいな子、なかなかいない”って言葉が、なんか……すごく胸に残ってるの。女の子としてじゃなくて、“私”を認めてくれた気がして……」


あかりは俺を見た。

まっすぐに。


「拓海は……どう思う?」


俺は答えを探した。

でも、すぐには言葉が出てこなかった。

なぜなら、俺自身も――戸惑っていたから。


男装しているあかりを見て、「かっこいい」と思ったのは事実だ。

壁ドンされた時なんて、心臓が飛び出しそうになった。

でもそれは、“女の子らしい”あかりとはまた違うドキドキで――

どっちが本当のあかりなのかなんて、俺にもわからない。


ただ、一つだけ確かなことがあった。


「……どっちが“本当”かなんて、今決めなくてもいいと思う」


ゆっくり言葉を選びながら、俺は続けた。


「俺は……男装してても、してなくても、お前が“お前”だって思ってる。だから――悩んでるなら、一緒に悩むよ」


あかりの瞳が、少し揺れた。

それから、わずかに頬を緩めたように見えた。


「……ありがとう」


ほんの少しだけ、本来の彼女が戻ってきたような気がした。


フードコートの喧騒はそのままでも、俺たちのテーブルには、少しだけ温かな空気が流れ始めていた。

日曜日, 11月 23, 2025

第七話 揺れる輪郭

 帰宅して、制服から私服に着替えた後も、胸の内のざわつきは収まらなかった。


バッグの内ポケットに、硬く四角い感触がある。

あの喫茶店で、あの女性がそっと差し出してきた名刺。

『朱鷺原 冴香(ときはら さえか)』

細くて、艶のある文字。どこか香りすら漂いそうな品のある字体。


その名刺を、机の上にそっと置く。


「かっこいいわね。君みたいな子、なかなかいないわ。」


冴香のあの言葉が、耳の奥で何度も反響していた。

あの時、あたしはただ、戸惑ってうつむくしかなかった。

でも――あれは本心だったのだろうか。

冗談にしては、目が真剣すぎた。


あたしの“男装”を、初めて「女性」としてじゃなく「人」として評価された気がした。


――ドクン。


心臓が妙な拍動を打つ。

悪いことをしてるわけじゃないのに、罪悪感のような感情が胸をかすめる。


「……拓海……」


ぽつりと、幼なじみの名前をつぶやいた。

今ごろ、家でゲームでもしてるのだろうか。

あたしが、誰かに言い寄られたことなんて、きっと知らない。


でも、あの時――少しだけ、拓海の目が険しかったような気がした。

あたしの笑顔を見て、どこか探るような視線。


わかってる。

あたしは、拓海が好きだ。


彼の不器用な優しさも、時々見せる子供っぽさも、

本当は全部、ちゃんと胸の中にある。


なのに――どうして冴香さんの言葉が、こんなに胸に残ってるの?


男装の自分が「好かれた」という事実。

それは、これまでの“女子”としてのあかりとは別の自分が見られている感覚だった。


そのことが、どうしようもなく嬉しかった。


「本当のあたしって、どっちなんだろう……」


膝を抱えて、名刺をじっと見つめる。

鏡の中には、男装用のウィッグと服がかかったハンガー。

文化祭で着た、あの服。

ボーイッシュなジャケットに細めのネクタイ、シャツの襟元をラフに開けたあの姿。


あの時、拓海が顔を赤くしたこと、忘れていない。


「……ねえ、あたしは、どっちの自分が好き?」


小さな声で、誰にも聞こえない問いを呟く。


冴香のように、男装した“あかり”に惹かれる人もいる。

でも、拓海は“女の子”としてのあかりを見てくれている……そう信じたい。


だけど――拓海も、あの時の壁ドンには驚いていた。

笑ってたけど、頬は確かに赤かった。

じゃあ、あれは、どんな気持ちだったの?


感情が、まるで糸を絡ませた糸玉のように、ほどけない。

ただ一つ言えるのは――


「誰かに必要とされたいって、思ってたんだ……きっと」


だから、冴香の言葉が心に刺さった。

誰かに「君がいい」と言われたことが、あたしの輪郭を揺らしている。


だけどそれは、「恋」なのか、「憧れ」なのか、あるいは「認められたい」だけなのか――


名刺をそっと、引き出しの奥にしまう。

答えはまだ出ない。

でも、今のままじゃ、拓海に顔向けできない気がする。


少しずつ、自分の気持ちに向き合わなきゃ。

逃げてばかりじゃ、あたしの中の“本当”に辿り着けない。


そう思いながら、あたしはゆっくりベッドに身を沈めた。

胸の鼓動はまだ早いまま、夜の静けさに包まれていく。

月曜日, 11月 17, 2025

第六話 B-side 見えない何か

トイレから戻ると、あかりは妙に背筋を伸ばして座っていた。

カップに手を添えたまま、窓の外をぼんやり見つめている。

その仕草が、どこか“作った静けさ”のように見えた。


「戻ったよ〜。暑いな、今日は。」


声をかけても、あかりの反応はわずかに遅れていた。


「あ、うん。おかえり。」


笑ってはいる。でも、いつもの柔らかさが少しだけ足りない。

何かを隠しているような、そんな表情。


机の上にはカップとスマホだけ。

俺が立った時と、ほとんど変わっていない。

でも空気は、明らかに違っていた。


「……なんかあった?」


俺の問いかけに、あかりはピクリと肩を揺らした。

すぐに「なんでもないよ」と笑ったけど、その笑顔は作り物だ。

ずっと隣で見てきたから、わかる。


けど、それ以上は聞けなかった。


彼女が「話さない」ことを選んだ時は、無理に踏み込まない。

それが、俺たちの間の“暗黙の了解”だった。


けれど今日は、なんだかざわつく。

目の前にいるのに、少しだけ遠い。


ポケットに手を入れる仕草がやけに慎重で――

なにかを隠してるように見えたのは、気のせいか?


俺はコップの水を一口飲みながら、何気なく話題を変える。


「文化祭の後、よく男装の話される?」


「ん? あー、まぁ、ちょこちょこ。」


「やっぱ反響あったよな、あの姿。」


「そ、そうかもね。」


会話は続いているのに、心がどこか噛み合わない。


俺が気づいてないフリをしてるのか、

それともあかりが“本当に見せたくないもの”を抱えてるのか。


いつからだろう。

あかりの背中に、自分が知らない影を見つけるようになったのは。


男装がきっかけだったのか、

それとも俺があかりを一人の“女の子”として意識し始めたからか。


「……本当に、なんでもない?」


問い直すと、今度は少しだけ、あかりが目を伏せた。


「うん。大丈夫だよ。」


その言葉に、胸の奥で“かすかな痛み”が走る。


信じたい。でも――どこかで、見失いそうな気がして。


俺はただ、その笑顔を壊さないように、

水の入ったグラスを見つめるふりをした。

日曜日, 11月 09, 2025

第六話 秘密の名刺

 テーブルに残された名刺は、仄かに香水の匂いがした。

あかりはその小さな紙片から目を離せずにいた。


「……なんで、置いてくのよ……」


自分でも気づかないほどの声で、つぶやいた。


名刺には流れるような筆記体で女性の名前と、

「何かあったら、いつでもどうぞ」とだけ書かれていた。

番号も、住所もない。まるで秘密の合図のように。


そのとき、トイレから戻ってくる拓海の姿が見えた。


――ヤバい。


反射的に、あかりは名刺をそっとポケットに滑り込ませた。

まるで、何か悪いことをしたような気持ちで。


「戻ったよ~。あれ?なんか顔赤い?」


拓海の声に、心臓が跳ねた。


「えっ?あ、暑いだけ。ちょっと日差し強かったし!」


笑ってごまかしたが、自分でも嘘くさいのはわかっていた。

それでも拓海は、深く詮索することもなく、

「そっか」と言ってグラスに口をつけた。


その優しさが、逆に苦しかった。


拓海にだけは、何でも話せると思ってた。

小さい頃からずっと一緒で、秘密なんてなかった。

でも、今――初めて、隠している。


しかも、それはただの「ナンパされた」ってだけのことじゃない。

男装していた自分が、女性から「惹かれた」と言われたという事実。

それを、拓海にどう伝えればいいかわからなかった。


彼は、あかりの男装をいつも肯定してくれる。

「似合ってる」「かっこいい」って、照れずに言ってくれる。

でも――その拓海に、自分が他人に“異性”として見られているということを言えば、どう思うだろう?


「なあ、あかり。さっき、なんかあった?」


突然の問いに、指がびくっと反応した。


「……なんで?」


「いや、なんとなく。表情固かったから。」


そうやって、何でも見抜こうとする。

そこが、昔から変わらない。


「ほんと、なんでもないってば。」


視線を合わせずに返すと、拓海は少しだけ寂しそうな目をした。

あかりは、その目を見て胸が痛くなる。


彼を傷つけたくない。

でも、この気持ちは――今はまだ、しまっておきたかった。


ポケットの中で、名刺の感触がじんわりと指先に残る。


“これは、私だけの秘密。”


そう思ってしまった自分が、少しだけ怖かった。

日曜日, 11月 02, 2025

第五話 予期せぬ誘惑

 「やっぱり、あかりの男装、街中でも目立つな。」


拓海がそう言って笑ったのは、街角の喫茶店の看板が見えてきた時だった。

天気のいい休日、駅前の通りは若者やカップルでにぎわっていて、確かに視線を感じることは多かった。


でも、あかりはどこか誇らしげだった。

ただの変装じゃない。男装はもう、彼女の一部になりつつある。


「どうせなら、堂々と歩いた方が気持ちいいでしょ?」


「うん、似合ってる。てか、普通にかっこいいし。」


さらっと言う拓海の言葉が、少しだけ胸に刺さる。

この人の何気ない一言って、ずるいくらいに効くんだよな――と、あかりは心の中で微笑んだ。


喫茶店は古風なレンガ造りで、通りの喧騒とは対照的に落ち着いた空気が流れていた。

二人は奥の窓際の席に座り、メニューを広げる。


「俺、トイレ行ってくる。アイスコーヒーでいいや。頼んどいてくれる?」


「あいよ、兄貴。」


冗談まじりに返すと、拓海は笑いながら席を立っていった。

その後ろ姿を見送りながら、あかりはふっと窓の外に視線を向ける。


街のざわめきが、ほんの少し遠くに感じられるこの静かな空間。

男装でこうして拓海と出かけるのも、もう慣れてきた。


「……ふふ、いい男ねぇ。」


突然、耳元で低くて艶やかな声がした。

驚いて顔を上げると、目の前には一人の女性が立っていた。


見た目は二十代後半から三十代前半だろうか。

波打つ黒髪、ワインレッドのロングスカートに艶のあるブラウス。

仕草の一つひとつに、年上の余裕と色気がにじみ出ている。


「ごめんなさいね、急に。あまりに素敵だったから、つい声をかけたくなっちゃって。」


女性はあかりの隣の席に腰を下ろすと、頬杖をついてじっと見つめてくる。

その目は、どこか試すように、愉しむように細められていた。


「え、あ、あの……」


一瞬、声が詰まった。

普段のあかりなら、こういうタイプの相手にも冗談で返せるくらいの余裕があるはずなのに。

どこか相手の雰囲気に飲まれていた。


「ねえ、お名前は? 彼氏さんを待ってるのかしら?」


「……友達と一緒に来てるんです。すぐ戻ってきます。」


男っぽく低めの声で返したつもりだったけど、内心はかなり焦っていた。

ただの軽いナンパとは明らかに違う。

この女性の視線は鋭くて、どこか人の“正体”を見透かすような強さがある。


「ふふ、焦らないで。男装でしょう?」


耳元でそっと囁かれたその一言に、あかりは体がビクッと反応した。


「うまいもの。よく研究してるし、立ち振る舞いも堂に入ってる。あなた、自分の魅力をちゃんと分かってるわね。」


「……え、なんでわかったんですか。」


「女の勘よ。あと――目が女の子のままだもの。」


そう言って、女性はゆるく微笑んだ。

挑発ではなく、賞賛とも取れるその笑みが、かえって不気味だった。


「あなたのようなタイプ、好きよ。可愛いのにかっこいい、そんな危うさに惹かれる人って多いのよ。」


「あ、あの、本当に……友達が戻ってくるんで――」


「じゃあ、またね。」


女性はすっと立ち上がると、テーブルに自分の名刺を一枚だけ置いて、振り返ることなく歩き去っていった。


あかりはその名刺を見つめたまま、何も言えなかった。


“君って、やっぱり人の目を引くんだな。”


拓海の言葉が、今になって思い出される。


でも――


こんな形で“目立つ”のは、全然慣れてない。


自分が男装していることで、こんなにも他人の興味を引くのかと実感し、同時にどこかスリルを感じていた。


ふと、トイレから戻ってくる拓海の姿が見えた。