日曜日, 12月 21, 2025

第十一話 偶然という名の必然

 その日、あかりは拓海と一緒に映画を観てから、ショッピングモールを歩いた。

楽しい時間だった。

けれど、心の奥にはずっと、ある影が張り付いていた。


――冴香さんのことだ。


あの日以来、彼女からは何の連絡もなかった。

そもそも名刺には連絡先すら書かれていなかったし、私自身も自分の番号やアドレスを教えたわけではない。

それでも、いつかまた会える気がして――名刺はまだ、机の引き出しにしまってある。


夕暮れ、拓海と駅で別れたあと、私は一人、家までの道を歩いていた。

人通りの少ない並木道。

街灯がぽつりぽつりと灯りはじめる。

気温は少し冷えてきて、腕をさすろうとした時――声がした。


「また会えたわね、あかりちゃん」


振り返ると、そこにいたのは冴香だった。


時間が止まったように感じた。


「……どうして……ここが……?」


驚きと戸惑いで声がうわずる。

でも、冴香さんは微笑むだけだった。


「あなたのこと、少し調べたの。ごめんなさいね。名刺に連絡先、書き忘れていたでしょう?」


冗談めかして言いながらも、その目は真剣だった。

私は否応なく鼓動が早まるのを感じた。


「少しだけ、話せるかしら?」


「……はい」


気づけば、私は自然に頷いていた。


そのまま、近くの静かなカフェに入った。

窓際の席に座り、ホットティーを注文する。

以前と同じジャスミンの香りが、湯気の向こうに漂う。


「あなたに、また会いたかった」

冴香さんがそう言った瞬間、心が跳ねた。


「……私も、会いたいって思ってました」

正直な気持ちだった。


「でも、私……混乱してて。自分が何に惹かれてるのか、よくわからなくて」


「それでいいのよ」

冴香さんの声は、あくまで穏やかだった。


「気持ちは、ひとつに決めなきゃいけないものじゃない。大事なのは、あなたがあなたでいられる場所を、ちゃんと選べること」


私はその言葉に目を伏せた。

冴香さんといると、自分の心が、どこまでも裸になる。


「ねえ、あかりちゃん。今日のあなたの服、すごく似合ってるわ」

ふと、冴香さんが言った。


「男装してる姿、とても自然よ。無理してる感じがしない」


私は顔が熱くなるのを感じた。

褒められたことへの照れなのか、それとも別の感情なのか、自分でも分からない。


「男装してる時の自分って……少し、強くなれる気がするんです」

ぽつりと呟いた。


「そうね。外見が変わると、心も自由になれる。私もそうだった」


冴香さんが語る過去の話――誰にも言えなかった自分、押し殺してきた思い。

そのすべてに私は引き込まれた。


そして、気づけば時刻は夜に差しかかっていた。


「そろそろ……帰らなきゃ」

私は言った。


冴香さんは、ふと立ち上がった。


「じゃあ、私が送るわ。家まで」


「えっ……でも……」


「心配なの。女の子を夜道に一人で帰らせるなんてできない」


そう言って冴香さんは、冗談っぽくウインクした。


……いや、私は今「女の子」に見えてる?


――なんて、頭の片隅で思ったけど、それを言葉にする余裕はなかった。


外に出ると、冷たい風が吹いていた。

その瞬間、冴香さんがさっと自分のコートを脱いで、私の肩にかけた。


「風邪ひくと困るから」


「……ありがとうございます」


肩にかかった布の重みと、そこに染み込んだ冴香さんの香水の匂いが、胸をきゅっと締めつける。


「……あかりちゃん」

家の前まで着いたとき、冴香さんが小さく呟いた。


「あなたに、ちゃんと伝えたい。私は、あなたに特別な気持ちを持ってる。

 たとえあなたが誰かを好きでも、あなたがどんな姿でも――私は、あなた自身に惹かれてる」


私は息を呑んだ。


胸が、痛いくらいに高鳴っていた。

拒絶の言葉は、出てこなかった。


それどころか、口の端が、自然に笑みに変わるのを感じた。


「……ありがとうございます」

私の声は、少し震えていた。


でも、それでも、ちゃんと目を見て答えた。


この時、私は確かに――冴香さんの言葉に、心を動かされていた。