拓海と別れたのは、夕方近く。
駅の改札前で「じゃあな」と手を振る彼に、私も笑顔で応えたけれど、胸の奥はまだざわざわしていた。
男装してる自分。
女の子のままの自分。
どっちも嘘じゃないのに、どっちかを選ばなきゃいけないような気がしてしまう。
拓海は、どっちでも「お前はお前」だって言ってくれた。
でも、自分ではまだ答えが出ない。
少し歩いて、人気のない公園の前で足を止めた。
ベンチに腰を下ろし、バッグの中の名刺を取り出して指でなぞる。
あの妖艶な女性――冴香さん。
「君みたいな子、なかなかいない」
その言葉が、何度も頭をよぎる。
その時だった。
「やっぱり、会えた」
聞き慣れた、低く艶やかな声が耳に届いた。
驚いて顔を上げると、そこには黒いサングラスをかけた冴香さんが、ベージュのロングコート姿で立っていた。
「少し、いいかしら?」
言葉より先に、心臓が跳ねる。
まるで映画のワンシーンみたいに現れたその姿は、現実離れしていて――けれど、確かに目の前にいた。
「え……あの……」
「驚かせちゃったかしら? でも、君にもう一度会いたくて、来てしまったの」
サングラスを外した冴香さんの瞳は、まっすぐに私を見ていた。
視線の熱に、思わず目を逸らしそうになる。
「少し、お茶でもしない? 駅の近くに、いいラウンジがあるの。静かで話しやすいのよ」
一瞬、断ろうとした。
でも言葉は喉の奥で止まった。
このまま断ったら、私はずっと逃げてしまう気がした。
自分の中の何かから、目を逸らしたままになる気がして――。
私は小さく頷いた。
「……はい。少しだけなら」
冴香さんは、嬉しそうに口元を緩めた。
駅の近くのティーホテルのラウンジは、静かで落ち着いた空間だった。
高い天井と、柔らかな灯り。
テーブルの上には小さなランプが置かれていて、冴香さんの横顔をやさしく照らしていた。
「今日はお友達と?」
「……はい。幼なじみで」
「あら、いいわね。彼、少し嫉妬してたかしら?」
冴香さんは冗談めかして笑った。
でもその目は、探るように私の表情を見ていた。
「嫉妬って……そんな……」
「でも、あなたが男装してること、どう思ってるのかしら。ちゃんと、理解してくれてる?」
言葉に詰まった。
拓海の言葉は嬉しかった。けれど、まだ“理解”されているとは、言い切れない気もした。
「正直に言っていいかしら?」
冴香さんが少し身を乗り出した。
「私は、男装してるあなたの姿を見たとき、雷に打たれたみたいな衝撃を受けたの。美しさと、強さと、でもどこか壊れそうな儚さ……すべてが混ざっていた」
言葉が、胸の奥を揺らす。
拓海とは違う種類の眼差し。
けれど、その眼差しもまた、確かに私を見てくれている気がした。
「あなたのことを、もっと知りたいと思った。男装が好きとか、そんな表面的なことじゃなくて、あなた自身を」
「……私を?」
「ええ。あなたは今、きっと自分の中の“もう一人”の自分と出会ってしまったのよ。私は、その人の背中をそっと押したいだけ」
ラウンジの中で流れるピアノのBGMが、まるで時間を止めているようだった。
私は紅茶に口をつけながら、自分の心が静かに熱を帯びていくのを感じていた。
「……私、自分でもよくわからないんです。男装してる自分が好きなのか、誰かに認められるのが嬉しいのか……」
「わからないままで、いいの。答えはすぐに出す必要なんてないわ。でも、私なら……その迷いごと、抱きしめられる」
心臓が跳ねた。
まるで恋人に言われたみたいに、心が温かくもざわついていた。
そして私は――静かに息を吸って、頷いた。
「もう少しだけ……一緒にいてもいいですか?」
冴香さんは微笑んで、私の手の上にそっと自分の手を重ねた。