土曜日の午後。
人の波が緩やかなショッピングモールの中庭で、あかりは小さな噴水のそばに腰を下ろしていた。
胸の奥がざわついている。
それは、数日前から止まない揺れだった。
「私、冴香さんのこと……気になるのかな……」
呟いた言葉は、風に流れて消えた。
冴香に出会ってから、あかりの心はずっと波立っている。
拓海と一緒にいる時の安心感。
それとはまるで異なる、冴香と向き合った時の高揚。
どちらが本当の自分なのか、まだ答えは出せていなかった。
スマホを見ると、今日の予定には何もなかったはずだった。
それなのに、なぜかこの場所へ足を向けてしまったのは――
「やっぱり、来てくれたのね」
その声に、あかりは肩を跳ねさせた。
振り返ると、冴香がそこに立っていた。
すっと風を纏うような立ち姿、指先の仕草ひとつまで洗練された空気をまとっている。
「どうしてここに……」
「勘よ。あかりくんなら、きっと今日も迷ってる気がしたの」
冴香は微笑みながら隣に座り、バッグを膝の上にそっと置いた。
それだけの仕草が、なぜこんなに綺麗なのだろうと、あかりはふと思う。
「……ねえ、あかりくん」
冴香は静かに口を開いた。
「あなたが私を避けようとしてるの、気づいてたわ。でも……来てくれたのね。それがすごく嬉しい」
言葉に詰まりそうになりながら、あかりはかろうじてうなずいた。
冴香に会うのが怖かった。
この気持ちを直視するのが、怖かった。
冴香はしばらく沈黙した後、ふと視線を上げた。
「もう少し、ちゃんと話してもいいかしら?」
「……はい」
「私ね、あかりくんのことが――好きよ」
その言葉は、あまりに自然で、あまりに真っ直ぐだった。
装飾も比喩もなく、まるで呼吸するみたいに冴香は言った。
「は、はい……?」
「好き。恋愛として。あなたが男装しているかどうかなんて、正直どうでもいいの。私が惹かれたのは、あなたのまなざしであり、声であり、心なの」
胸が高鳴る。けれどそれは、喜びだけではない。
まるで見透かされてしまったような、不安と混乱が交錯する。
「でも……私……」
「わかってる。拓海くんの存在も、あなたが今、揺れていることも。
だけど、私は逃げないわ。だから――あなたの気持ちを聞かせて。今の、素直な気持ちを」
冴香の瞳が、まっすぐあかりを見つめている。
それは逃げ道のない深い湖のようで、あかりは思わず視線を逸らしそうになる。
だけど、逃げたくなかった。
あのときのラウンジ、カフェの帰り道、ふいに触れられた手――
全部が、私の中に少しずつ何かを積み上げていた。
「……怖いんです」
ようやく、声が出た。
「冴香さんといると、私、自分でも知らない感情が出てきて。男装してる自分を、自然に受け入れられる気がして。でも、これが恋なのか、それとも……誰かに必要とされる心地よさに酔ってるだけなのか、わからない」
冴香は優しく頷いた。
その仕草すら、安心できるようで、でも心をくすぐる。
「わからなくてもいいの。人の気持ちなんて、簡単に言葉にできるものじゃないから。だけど、あなたの中に“私に向けられている気持ち”があるのなら、私はそれを信じたい」
沈黙が流れる。
どこか遠くで子供の笑い声がして、噴水の水が柔らかく揺れている。
あかりはそっと息を吸った。
「私……冴香さんのこと、好きなのかもしれません。でも、それが恋かはまだ……」
「それで十分よ」
冴香はすっと手を伸ばし、あかりの指先に軽く触れた。
その温もりに、胸の奥がきゅっと締まる。
「その“かもしれない”から、始めましょう? 答えは、急がなくていいから」
あかりは、頷いた。
冴香の言葉は、まるで優しい風のようだった。
心に吹き込んで、くすぐって、でも無理には触れない。
たぶん、これが“大人の恋”というものなのかもしれない。
自分の気持ちはまだ定まっていない。
だけど、ここにある何かは、確かに自分の中に芽生えている。
その確かな芽を、今はただ静かに見つめていたかった。