月曜日, 1月 12, 2026

第十四話 揺れるまなざしの先に

 土曜日の午後。

人の波が緩やかなショッピングモールの中庭で、あかりは小さな噴水のそばに腰を下ろしていた。


胸の奥がざわついている。

それは、数日前から止まない揺れだった。


「私、冴香さんのこと……気になるのかな……」


呟いた言葉は、風に流れて消えた。


冴香に出会ってから、あかりの心はずっと波立っている。

拓海と一緒にいる時の安心感。

それとはまるで異なる、冴香と向き合った時の高揚。

どちらが本当の自分なのか、まだ答えは出せていなかった。


スマホを見ると、今日の予定には何もなかったはずだった。

それなのに、なぜかこの場所へ足を向けてしまったのは――


「やっぱり、来てくれたのね」


その声に、あかりは肩を跳ねさせた。


振り返ると、冴香がそこに立っていた。

すっと風を纏うような立ち姿、指先の仕草ひとつまで洗練された空気をまとっている。


「どうしてここに……」


「勘よ。あかりくんなら、きっと今日も迷ってる気がしたの」


冴香は微笑みながら隣に座り、バッグを膝の上にそっと置いた。

それだけの仕草が、なぜこんなに綺麗なのだろうと、あかりはふと思う。


「……ねえ、あかりくん」

冴香は静かに口を開いた。


「あなたが私を避けようとしてるの、気づいてたわ。でも……来てくれたのね。それがすごく嬉しい」


言葉に詰まりそうになりながら、あかりはかろうじてうなずいた。

冴香に会うのが怖かった。

この気持ちを直視するのが、怖かった。


冴香はしばらく沈黙した後、ふと視線を上げた。


「もう少し、ちゃんと話してもいいかしら?」


「……はい」


「私ね、あかりくんのことが――好きよ」


その言葉は、あまりに自然で、あまりに真っ直ぐだった。

装飾も比喩もなく、まるで呼吸するみたいに冴香は言った。


「は、はい……?」


「好き。恋愛として。あなたが男装しているかどうかなんて、正直どうでもいいの。私が惹かれたのは、あなたのまなざしであり、声であり、心なの」


胸が高鳴る。けれどそれは、喜びだけではない。

まるで見透かされてしまったような、不安と混乱が交錯する。


「でも……私……」


「わかってる。拓海くんの存在も、あなたが今、揺れていることも。

だけど、私は逃げないわ。だから――あなたの気持ちを聞かせて。今の、素直な気持ちを」


冴香の瞳が、まっすぐあかりを見つめている。

それは逃げ道のない深い湖のようで、あかりは思わず視線を逸らしそうになる。


だけど、逃げたくなかった。


あのときのラウンジ、カフェの帰り道、ふいに触れられた手――

全部が、私の中に少しずつ何かを積み上げていた。


「……怖いんです」

ようやく、声が出た。


「冴香さんといると、私、自分でも知らない感情が出てきて。男装してる自分を、自然に受け入れられる気がして。でも、これが恋なのか、それとも……誰かに必要とされる心地よさに酔ってるだけなのか、わからない」


冴香は優しく頷いた。

その仕草すら、安心できるようで、でも心をくすぐる。


「わからなくてもいいの。人の気持ちなんて、簡単に言葉にできるものじゃないから。だけど、あなたの中に“私に向けられている気持ち”があるのなら、私はそれを信じたい」


沈黙が流れる。


どこか遠くで子供の笑い声がして、噴水の水が柔らかく揺れている。


あかりはそっと息を吸った。


「私……冴香さんのこと、好きなのかもしれません。でも、それが恋かはまだ……」


「それで十分よ」


冴香はすっと手を伸ばし、あかりの指先に軽く触れた。

その温もりに、胸の奥がきゅっと締まる。


「その“かもしれない”から、始めましょう? 答えは、急がなくていいから」


あかりは、頷いた。


冴香の言葉は、まるで優しい風のようだった。

心に吹き込んで、くすぐって、でも無理には触れない。


たぶん、これが“大人の恋”というものなのかもしれない。


自分の気持ちはまだ定まっていない。

だけど、ここにある何かは、確かに自分の中に芽生えている。


その確かな芽を、今はただ静かに見つめていたかった。