月曜日, 1月 05, 2026

第十三話 揺れる香り

 冴香と再会するのは、なぜかいつも不意打ちだった。


駅の構内で、休日の書店で、カフェの前のベンチで。

どこか偶然のようでいて、まるで必然のように――あの人は、ふと私の前に現れる。


「また会えたわね。運命かしら?」


冴香の口元に浮かぶ微笑は、どこまでも艶やかで、どこか危うい。

男装をしていようと、私の心臓はいつもより早く鼓動し、口元が乾く。


一度目の出会いでは、ただ驚いただけだった。

二度目には、戸惑いの中で気恥ずかしさが勝っていた。


でも――三度、四度と会ううちに、私の心は確実に変わっていた。


「今日はどこまで歩けるかしら?」


そんな冴香の言葉に、私は思わず頷いてしまう。


ふたり並んで歩く夜道。

街灯の下、冴香の横顔は美しくて、どこか現実離れしていた。


「ねえ、あかりくん。あなたのこと、もっと知りたいわ」


その声は、耳に触れた風よりも、ずっと柔らかくて甘い。

“あかりくん”と呼ばれるたびに、私はふと意識が浮き上がるような心地になる。


気づけば、冴香との距離は確実に縮まっていた。

言葉のひとつひとつが、まるで肌を撫でるように優しくて、ふいに心の隙間に入り込んでくる。


そしてある晩。


人気の少ない路地裏のカフェで、ふたり並んでコーヒーを飲んでいた時だった。


「……あかりくん、今日はすごく綺麗ね」

冴香がふと、低く囁くように言った。


男装している私に“綺麗”という言葉は、予想外だった。

でも、冴香に言われると、それがしっくり来る気がする。

自分がどんな格好をしていても、冴香は“私”を見ているような気がして――それがくすぐったくて、こわい。


「そ、そうかな……ありがとう」

視線を逸らすと、冴香がそっと私の頬に手を添えた。


「どうして目を逸らすの? ……可愛いわね、そうやって照れるところも」


瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。


まるで、少女漫画のヒロインになったような気分。

だけど、私は男装していて、あくまで“男の子”として見られているはずで――


「……ねぇ、あかりくん」

冴香の顔が、ほんの数センチ近づく。


「あなた、私にときめいてるわよね?」


その言葉は、冗談めいていながらも真っ直ぐだった。

嘘で返せない、でも本音を晒すには覚悟がいる――そんな問いだった。


私の中で、何かが揺れた。


たしかに冴香に会うたびに、心がざわついていた。

その声、目線、仕草――どれも私の心を少しずつ掴んで離さなかった。


でもそれは、本当に“恋”なのだろうか。

それとも、ただ大人の女性に翻弄されているだけ?


私は答えられなかった。


冴香はそれ以上は何も言わなかった。

ただ、微笑んで手を引き、静かにカフェを後にした。


帰り道、私は自分の手を見つめる。


さっきまで冴香が握っていたその手は、かすかに温もりを残していた。

それなのに、まるで熱を奪われたように震えていた。


「私……本当に、ときめいてるの?」


つぶやいた言葉が、夜風に消えていく。


拓海と過ごす時間も、大切なはずだった。

でも冴香といるときの私は、少し違う私になっていて――

その“違う私”を、私はどこかで求めている気がした。


冴香は、その“違い”に気づいて、近づいてきたのだ。


次に会ったら、きっと冴香はもう一歩踏み込んでくる。

その時、私はどうするんだろう。


わからない。

でも、心の奥底で、小さな期待が芽生えている自分に、私は気づいていた。


怖い。

でも――知りたい。


私の中に生まれた、この新しい感情の名前を。