(17)
襖の前に立った健人と美咲は、互いに顔を見合わせた。
和室から漏れ出す青い燐光は、ゆらゆらと揺らめき、二人の影を床に不気味に映し出している。
息を呑む音すら大きく響きそうな沈黙の中で、美咲が小さく囁いた。
「……開けるね」
震える指で襖に手を掛ける。
ギィ……と、軋む音を立てて襖が少しずつ開くにつれ、眩い青の光が一気に広がった。
次の瞬間、美咲は声を失った。
「……お母さん!」
そこにいたのは、畳の上に横たわり、淡い燐光に包まれた一人の女性。
美咲に面影のよく似た、長い髪の優しげな顔立ちの女性が、静かに目を閉じていた。
青白い光は彼女の身体を覆い、呼吸のたびに淡く脈動するように見える。
まるで現実の中にある幻影のようで、信じがたい光景だった。
「お母さん!」
美咲は健人の制止も聞かず、駆け寄って母親の身体を抱き起こそうとした。
だが、伸ばした腕は空を切った。
「えっ……」
美咲の両手は、母親の身体をすり抜けてしまったのだ。
何度も、必死に触れようとする。肩を掴もうとし、腕を揺さぶろうとする。しかし、結果は同じだった。
「どうして……どうしてさわれないの……?」
その震える声に健人は息を呑む。自分の目の前で確かにそこにいるのに、手を差し伸べても掴めない。
この現象が何なのか、健人自身も理解できなかった。
そのとき、青い光の中で女性の瞼がゆっくりと震え、やがて開いた。
「……美咲?」
掠れた声が静まり返った部屋に響いた。
美咲は涙を浮かべながら母親に顔を寄せる。
「お母さん! 無事なの? 大丈夫なの?」
母親の目に、愛おしそうな光が宿る。
「美咲……無事でよかった……。ずっと心配していたのよ」
震える声でそう言って、母親は美咲に手を伸ばした。
しかし、その手もまた、美咲の肩をすり抜けてしまう。
「……さわれない……どうして……」
母親の顔にも困惑の色が浮かんだ。
美咲は必死に首を振る。
「わからない……私もさわれないの……! どうなってるの……?」
互いに確かに存在しているのに、交わることができない。
親子の間に、目に見えない深い隔たりが横たわっているようだった。
健人は一歩前に出て、光に包まれた二人を見守った。
自分には何ができるのか。答えは見つからないまま、ただ青白い輝きが畳に揺れるのを見つめるしかなかった。
やがて、母親の身体の輪郭が僅かに揺らぎ始めた。
「……っ、お母さん!」
美咲の声が悲鳴に変わる。
光の粒子が少しずつ宙に散っていくように、母親の姿が淡く薄れていくのが分かった。
触れられないどころか、このまま消えてしまうのではないか――。
美咲は必死に母親に縋り付こうとするが、やはり腕は空を切るだけ。
母親もまた、美咲の姿を追いかけながら必死に手を伸ばしていた。
「いや……いやだ……消えないで! お母さん!」
美咲の声が部屋に響き渡った。
健人は唇を噛み締めた。自分には何もできないのか。
その無力さが胸を締め付ける。
しかし、美咲が振り返り、必死の形相で健人に叫んだ。
「健人くん! お願い、私の時と同じように……お母さんを、こっちに連れ戻して!」
その瞳には涙と切実な祈りが宿っていた。
健人の胸が強く打ち震える。
――自分に、そんなことができるのか。
だが、美咲がこうして助けを求めている。
あの時、自分の視線は確かに美咲を繋ぎ止めた。
もしそれが本当に力を持つのだとしたら……今度もまた。
青い燐光に包まれて薄れていく母親の姿を前に、健人の心は激しく揺さぶられていた。