日曜日, 3月 08, 2026

第二十二話

 翌日。

柔らかな陽射しの下、駅前の広場には休日の賑わいが満ちていた。

待ち合わせ場所に立つ拓海は、遠くから歩いてくるあかりの姿を見て、思わず息を呑んだ。


いつもなら、どこか少女らしい軽やかさのあるワンピース姿で、自然体の笑顔を浮かべている彼女。

しかし今日のあかりは、同じスリムなワンピースでも、全く違う雰囲気をまとっていた。

まぶたには薄いブラウンのアイシャドウが差し込まれ、唇には淡いルージュの艶が灯る。

そのわずかな化粧の陰影が、彼女の輪郭を大人びた印象に変え、街の光景の中でひときわ際立たせていた。


「…お、おはよう、あかり」

声が少し上ずる。


「おはよう、拓海」

穏やかに笑うあかりの視線が、真っ直ぐに彼を捉える。

それは以前よりも少し落ち着きがあり、柔らかなのに、不思議と芯の強さを感じさせるものだった。


歩き出すと、自然にあかりが半歩前を行く。

行き先や店を決めるのも、足取りのリズムも、今日は彼女が主導していた。

その背中を追いながら、拓海は胸の奥にうっすらとした戸惑いを覚える。


――何か、変わった。

でも、それが何なのか言葉にできない。


やがて二人は、とある喫茶店の前に立った。

木製のドアと、小さなステンドグラスのランプが下がる入口。

初めて来たわけではない――少なくともあかりにとっては。


「ここ…入ってみない?」

あかりが振り返り、笑みを浮かべる。

その笑顔の奥に、彼には見えない何かを秘めているような気がした。


店内に足を踏み入れると、柔らかなランプの灯りとコーヒーの香りが包み込む。

窓際の席に座ると、外の光があかりの横顔を優しく縁取った。

その姿に、拓海はつい見とれてしまう。


「なんか…今日のあかり、ちょっと大人っぽいというか…雰囲気が違うね」

意を決して口にすると、あかりは一瞬だけ瞳を細めた。


「そう?」

くすっと笑い、カップの水を一口飲む。


そして、ゆっくりと視線を拓海へと向け、柔らかな声で続けた。

「以前の私も、男装したときの私も、どちらも同じ私。…そして、心の中の私も、また同じ“ワタシ”なの」


その言葉の最後に、ほんの少しだけ妖艶な微笑みを添えた。

その笑みに、拓海は不意を突かれたように視線を泳がせる。

「そ、そうなんだ…」と呟きながら、手元のアイスコーヒーに逃げるように口をつけた。


グラスの氷がカランと鳴る。

その音を聞きながら、あかりは頬杖をつき、拓海の仕草を静かに見守っていた。

どこか慈しむような眼差しで――けれど、それは決して単なる恋人の視線だけではなかった。


(…冴香。あなたも、ここにいるんでしょう?)


カップに映る琥珀色の液面に、ふとあの日の光景が浮かぶ。

鏡の中で差し伸べられた手。

触れた瞬間に伝わった温もり。

消えていく境界、近づく瞳、耳元で囁かれた声。


あの時から――冴香は確かに、私の中に生きている。

彼女の笑顔も、声も、触れた感触も、私の奥深くで脈打ち続けている。


拓海と過ごすこの時間も、あの日冴香と過ごした瞬間も、私の中で同じ重さを持っている。

それは矛盾じゃない。

むしろ、どちらも欠かせない私の一部。


(…だから、私の心の中に一緒にいる冴香と、その思い出も――同じ“ワタシ”なんだよ)


静かにそう呟くと、胸の奥にふっと温かな風が吹き抜けた。

それは、まるで遠くから冴香が微笑んでいるような気配だった。


窓の外では、午後の陽射しが街を柔らかく染めている。

テーブル越しに拓海が不器用に笑い、あかりも微笑み返す。


その微笑みの奥に、誰にも触れられないもうひとつの温もりを抱きながら――あかりは静かに、今という時間を味わっていた。