日曜日, 3月 22, 2026

幕間 春の午後、再びあの喫茶店で

  春の風が、街路樹の若葉を優しく揺らしていた。

 大学二年になったあかりは、駅から続く並木道を歩きながら、ふと微笑む。

 横を歩く拓海は、あの頃より少し背が伸び、落ち着いた雰囲気を纏っていた。

 それでも、彼の歩調は変わらず、あかりに合わせるように穏やかだ。


 「……久しぶりだな、ここ」

 拓海の視線の先に、小さな喫茶店が見える。

 そう、あかりと冴香が初めて出会ったあの場所。

 そして、拓海と二人でも何度か訪れた場所。


 「うん。なんだか、懐かしい」

 ドアベルの澄んだ音が、記憶の奥底をやさしく叩く。

 テーブルや椅子の配置はほとんど変わっていない。

 ただ、時間の流れだけが確かにここにも存在していた。


 二人は窓際の席に腰を下ろす。

 陽射しがテーブルに落ち、カップの影がゆらめく。

 コーヒーの香りが、あかりの胸に過去と現在を重ね合わせた。


 ——あの頃の私。

 男装して、自分を守るために別の自分を演じていた私。

 冴香に出会って、揺さぶられた私。

 拓海に恋をして、少しずつ変わっていった私。


 すべてが、今の私を作っている。


 「ねえ、あかり」

 拓海がカップを置き、少し照れたように笑う。

 「昔よりも、表情が柔らかくなった気がする」

 「そう?」

 あかりは微笑む。その笑顔には、自分でもわかるほどの余裕と温かさがあった。


 その瞬間——

 窓ガラスに映る自分の顔が、ふっと冴香の笑みと重なった。

 それは幻か、記憶か、それとも自分の中に生きている冴香なのか。

 けれど、もう驚きはなかった。

 むしろ、それは心の奥で静かに寄り添う存在だった。


 「ね、拓海。私、あの頃のこと、全部大事にしてるんだ」

 「全部って?」

 「うまく言えないけど……昔の私も、今の私も、心の中にいる色んな“私”も。全部、私だから」

 拓海は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑みを返した。

 「そういうところ、好きだよ」


 あかりは少し頬を赤らめて、カップを持ち上げる。

 その瞬間、胸の奥で——あの日の冴香の声が、確かに響いた。

 「それでいいの。あなたは、あなたのままで」


 窓の外では、春の風が街を優しく撫でていた。

 過去と現在が静かに溶け合い、未来へと続く午後の時間。

 あかりはそのすべてを、心から愛おしいと思った。(了)