(22)
和室に流れていた重苦しい沈黙を、最初に破ったのは健人だった。
美咲と綾乃、二人の視線が自分に集まっているのを感じて、逃げてはいけないと覚悟を決めたのだ。
「……あのさ。俺、自分でもどう説明したらいいのか分からないんだけど」
健人は一度深く息を吸い、言葉を選ぶようにして続けた。
「たぶん……俺の視線が、何かの力を持ってるんだと思う」
その言葉に、美咲と綾乃は小さく目を見開いた。
「美咲が消えそうになったとき、必死に見つめたら、こっちに戻ってきた。綾乃さんも……同じだった」
健人は、正面に座る綾乃に視線を向けた。
「どうしてなのかは分からない。けど、俺が見ていることで、二人をこの世界に繋ぎとめられた……そんな気がしてる」
自分でも信じられない話をしているのは分かっていた。けれど、黙ったままでは、ますます不安が募るだけだ。
健人の言葉を聞いて、綾乃は小さく唇を噛み、俯いた。やがて、何かを思い出すようにゆっくりと顔を上げる。
「……そうね。私の方も、確かにおかしかった」
彼女の声はまだかすかに震えていたが、それでも率直に語ろうとする強さがあった。
「私は居間にいたの。いつものように台所の片づけをして、少し座って休もうとしたら……突然、青い光に包まれて意識が遠のいていった。あの時は、何が起きたのか全く分からなかった」
綾乃は視線を宙に泳がせ、あの感覚を確かめるように言葉を継ぐ。
「気がついたときには……もう、部屋の輪郭がぼやけ始めていたわ。畳も、障子も、全部が淡く滲んで、崩れ落ちそうで。――その時、二人が来てくれたの。美咲の声と、健人くんの強い視線。……その温かさを感じたら、不思議とまた、ここに戻ることができた」
そう告げる綾乃の横顔は、どこか恥じらいと安堵が入り混じっていた。
美咲は、母の話を聞いて黙って頷く。
「……私も、似てるかも」
美咲は自分の体験を思い返し、言葉を紡いだ。
「ある日学校に行ったら、なんだか世界が変だった。教室にみんながいるのに、どこか遠くの影みたいで、声も聞こえなかった。それで……放課後、誰もいなくなった教室で健人に会ったの」
あの時の胸の高鳴りを思い出す。
「その時も、世界がぼやけ始めてた。……黒板も机も全部が滲んで、消えちゃいそうで怖かった。でも、健人が私を見てくれて……その視線で、ここに戻れたんだと思う」
美咲は健人の方を見て、小さく微笑んだ。だがその微笑みの奥には、あの恐怖を思い出す影が潜んでいる。
三人の話は、不思議な共通点を持っていた。
突然現れる燐光、崩れ落ちそうな世界の輪郭、そして――健人の視線が引き戻す温かさ。
だが、そこから先が分からない。
どうして誰もいない世界に取り残されたのか。
なぜ自分たち三人だけがこうして集まれたのか。
「……けどさ」健人はぽつりと呟いた。
「結局、どうしてこんな世界になっちゃったのか……俺にも分からない」
その言葉は正直な吐露だった。彼自身もずっと考え続けているが、答えは見つからない。
静寂が再び訪れる。月明かりが障子を透かして淡く室内を照らし、三人の影を畳に落とした。
沈黙を破ったのは美咲だった。
健人をじっと見つめ、少し強い口調で問いかける。
「健人……私をこの世界に戻してくれた時、他に……何か、今までと違ったことはなかった?」
その問いかけには切実さが込められていた。
彼女はまだ、母を失うかもしれない不安を抱えている。
そして、自分たちがなぜ「ここ」にいるのかを知るために――健人が隠していることがあるのではないか、と直感していた。
健人は言葉を詰まらせた。
思い返すのは、あの日の教室で、美咲の頬を両手で包み込み、鼻先が触れるほど近づいて必死に見つめた瞬間。
そして、二人を包んだ赤い炎のような光。
……だが、そのことをどう伝えればいいのか。
美咲は健人の沈黙を見て、余計に胸を締め付けられるような思いに囚われていた。